私の帰る場所
翌朝、カーテンの隙間からわずかに差し込む光の気配を感じ、真依子は目を覚ました。朝食の前に、ホテルのまわりを散歩してみる。子どもが産まれてから、早起きは大の得意になった。誰かのために起きるというのは思っていたよりも全然苦ではなくて、むしろ好都合だというのは、意外な発見だった。
オフィス街にあるホテルの周辺には大きなビルがところどころ、静かに佇んでいる。立派な外観ではあるものの、働く人々を飲み込む前の無人のビルは少しだけ、親しみやすい姿だ。真依子はビルを見上げながら、独身時代のことを思い出していた。
あのころからずいぶん、遠くまで来たな。そして実はまだまだ、これからのほうが、長いんだよな。
ホテルをチェックアウトして戻ってきたのは、お昼前だった。浩太に「駅に着いた」とメッセージを送ると3人で、マンションのすぐ近くにある公園にいると返信が来た。
「あ、ママだ!」
公園へ行くと、キックボードに乗った健と美沙が気づいて手を振り、キックボードを走らせながらこちらへ走ってくる。その後ろでベンチに座っていた浩太は、こっちを見て軽く片手を挙げた。
「ママおかえり!」
健と美沙は口々に言う。
「ただいま。ハンバーガー買ってきたよ」
真依子は、手に提げた袋を見せた。
「イェーイ!」
健も美沙もキックボードを急いで畳み、我先にと公園の出口へ走り出した。危ないから歩道では絶対に使うなと言っているので、律儀にそれを守っている。言うことを聞かなくて手を焼くことも多いが、本当に守るべきことは守る。我が子ながらいい子たちだと思う。
「昨日はありがとう。どうだった?」
真依子は、歩いて来た浩太に声をかける。
「ん?ああ、わりと平和だったよ」
「わりと?」
「今朝は7時に起こされちゃって、朝からアニメ2本立てだよ」
浩太はあくびをしながら、ピースサインを出す。
「あのさ、あとで話があるんだけど」
「話?わかった。ところで、それ何?」
浩太が、真依子のボストンバッグから出たビニール袋を指差す。
「ピーマン。安かったの」
「安売りを見逃さないとは、さすが主婦」
浩太は、にやっとに笑う。
「パパ!家まで競争しよう!」
健が、遠くから叫んでいる。浩太は「やれやれ」とつぶやきながら、走って行く。
遠くの3人の姿を見ながら、あれは確かに自分だけの家族なのだと、真依子は当たり前のことを思う。たとえ何か起きて別れることになったとしても、それでも絶対に自分とは切り離せない、私の家族。
そのわずらわしさもそこに付随する幸福も全部ひっくるめて、自分には必要なものなのだと、本当はわかっている。そして一緒にいることを選んでいるのも、結局は、いつも自分なのだということも。
真依子がほかの選択をしていたら…
Choice.1 結婚を選択「ピーマンと夜とわたし」
Choice.2 転職を選択「銀のボールペン」
Choice.3 結婚でも転職でもない道を選択「pleasant life」
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- ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
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