家族と私の10年
真依子は、これは半ば家出のようなものだと思っている。とはいえ、ひとりでホテルに泊まるというのは1カ月以上も前から計画していて、浩太にも了承を得ているし、明日の昼には帰るのだけれど。まさか、こんなことがしたくなるとは思わなかった。
子どもたちには「ママは用事があって、一晩だけひとりで実家に帰る」と伝えている。子どもが産まれてから、一晩中家をあけるのははじめてだ。
健と美沙は今年の春で小学2年生になったとはいえ、まだまだ子どもだ。てっきり寂しがるかと思いきや、浩太と夕食にファミレスへ行く約束をしたらしく、今朝学校へ行くときはふたりとも心なしか浮き足立っていて、真依子はすこしだけ拍子抜けした。
10年前、あのプロポーズめいたことを言われた公園での夜から帰った3日後、真依子はふたたび浩太と会った。今度はシラフの状態で話し、改めて浩太から結婚の意向を伝えられ、承諾した。文房具メーカーの最終面接は、辞退した。それから3カ月後に結婚した。
正直なところ真依子は、結婚に対してすごく深く考えたり、確固たる決意があったりしたわけではなかった。浩太のことは好きだったし、とくに結婚を断る理由もない、という感じだった。
結婚後1年してから、真依子は妊娠した。それも、男の子と女の子の双子。いずれ子どもはほしいとは思っていたけれど、20代のうちに親になるとは、ほとんど予想していなかった。
はじめての子育て(しかも2人同時!)にはとにかく四苦八苦したし、仕事と子育てを両立するようになってからは、それはそれで大変で、浩太ともたくさん喧嘩をした。でもふたりとも若かったこともあって、バイタリティにくわえてどこか楽観的なところもあり、どうにか乗り切った。
健と美沙が3歳のころ、真依子は大学を卒業してはじめて就職した、事務用品会社の仕事を辞めた。これまで預けていた保育園ではなく幼稚園に通わせることにしたという理由もあったが、仕事から離れたいという想いもあった。
真依子自身、仕事を辞めて少しほっとしたところがあった。入社当時とくらべて真依子の会社の売上は大きく落ちていて社員の士気も下がり、真依子自身もやりがいを感じられないことが多くなっていた。それに真依子の会社は社員の平均年齢が比較的若く、その会社でずっと働き続ける姿というのが、どうしても見えなかったというのもある。
ただ、これは浩太がいたからこそできた決断ではある。その点で、浩太にはやっぱり感謝している。
仕事を辞めてしばらくして、子どもたちも幼稚園に慣れはじめたところで、真依子は週に2〜3回、パートや派遣で営業の仕事をして家計を支えた。仕事の範囲は限られていたが子育てをしながら働くにはちょうどよかったし、必要な収入は得ることができた。
そうこうしているうちに、気づけば子どもたちも小学生になった。「そうこう」とはいっても、そのあいだには本当に、本当にいろいろあったけれど。でもいまでは、楽しかった記憶と大変だった記憶がごちゃ混ぜになって、頭のなかに断片的に残っている。
もちろん、親としてのサポートはまだまだ必要な年齢だけれど「とにかくかたときも目が離せない」とか「手取り足取りお世話をする」とか、そういう段階は過ぎた。
さて、これからどうしようか。そう考えることも、できるようになってきていた。