Choice.3 pleasant life(結婚も転職も選ばなかった私の10年後)
きょうは、一段と暇だな。
真依子は、誰もいない店内で思わず伸びをした。朝から店を開けているが、昼までに来店したのは10人足らず。そのうち、20代くらいの女性ふたり組がそれぞれボールペンとメモ帳を、同棲していそうな若いカップルが、ペン立てとおそろいのキーホルダーを買っていった。
土日はもう少しお客さんが来るが、こんな状態が、もう1カ月以上は続いている。店内のディスプレイを整えたり掃除をしたり、売れない商品を片付けたりしているうちに、近所の小学校から正午を知らせるチャイムが聞こえてきた。
よし、とりあえずお昼にするか。真依子は財布をつかみ、外へ出て玄関の鍵を閉め「ただいま外出中です。すぐ戻ります 店主より」のプレートを下げた。少し離れて、店の外観を眺めてみる。
この商店街に、小さな文房具屋兼雑貨の路面店をオープンして、もうすぐ3年になる。こじんまりとした街ではあるが古着屋や古本屋なども多いエリアで、真依子のように個人で店を営む人も少なくない。
「pleasant」という店舗の看板は、知り合いのデザイナーに頼んで描いてもらった。英語で「愉快な」と言う意味だが決して派手な雰囲気ではなく、シックで流れるような文字の雰囲気が気に入っている。
夢だった自分の店、だけど
何を食べようかな。真依子は商店街を歩きながら考える。元気をつけたいからインドカレーの店で辛口を頼んでもいいし、あそこのおしゃれなパン屋さんで、コーヒーとサンドイッチにしてもいいかも。
真依子は会社員だったときから、昼食にはこだわりがあった。せっかく食べるなら、おいしいものが食べたい。そう思って、おいしいランチが食べられる店の開拓に勤しんでいた。
やっぱり、いつものお総菜屋さんにしよう。真依子は決め、自分の店からほど近いその店に入った。ここの国産の素材を使ったおかずがおいしくて、週に2回は買っている。
「こんにちは」
「いらっしゃい。きょうはどうする?」
黄色いエプロンをした店長が、柔らかい笑顔で聞く。エプロンとおそろいの黄色い三角巾のなかに、きれいな髪が収まっている。
「日替わり弁当にしようかな」
日替わり弁当のメニュー表には「豚肉のソテーと白身魚のフライ」とある。
「はーい、日替わりね。どう?お店は」店長は、真依子の店で買ってくれたペンとノートを使って、手書きの「日替わり」のところに正の字を1本書き足した。だいたいの文房具屋に置いてあるような定番商品にもかかわらず、真依子の店がオープンしたときから、定期的に買いに来てくれているのだ。
「きょうは、いまいちかな」
「うちもなのよ。お昼どきなのに困ったわ」
「そうなんだ。でも、このお店はファンがたくさんいるから大丈夫だよ、私もそのひとりだし」
「嬉しいこと言ってくれるじゃない」
「だって、本当のことだから」
「ありがとう。はい、お弁当」
店長は、弁当の入った袋をカウンター越しに真依子に手渡した。温かさが袋ごしに伝わる。袋のなかには弁当のほかに、白身フライと春巻きが透明のパックに詰められて入っていた。
「あれ、こんなに頼んでないよ」
「ああ、作りすぎちゃったからおまけ。夕飯の足しにでもして」
「ありがとう」
店を出て商店街を歩いていると、人通りがないわけではないけれど、以前よりも確実に減ってきていることに改めて気づく。最大の要因は、3ヶ月前に駅前にできた商業施設だ。広くて明るく、惣菜、雑貨、食品、書店と、チェーン店のテナントがひととおり入っている。
便利になることは決して悪いことではないし、真依子もふだんからじゅうぶんにその恩恵にはあずかっているのだけれど、でもこうやってもろに影響を受けてしまうと、やっぱり、そうのんきではいられない。
自分の店へと戻る途中、何人かの知り合いと軽くあいさつを交わす。まさか大人になって商店街に知り合いができてこんなふうに交流したり、自分が商店街のあれこれに参加したりするようになるとは思わなかった。面倒なこともあるけれど、街の一員になれているようでわりと楽しい。
午後は、まあまあの来客だった。お昼を早めにとってよかった、と真依子は思った。お客さんへの対応の合間に新しく仕入れる商品を調べたり、卸業者からのメールに返信したりしているうちに、慌ただしく時間が過ぎていった。