セカ活は、もう一度女性を生きること
先ほど紹介したセラピストの同僚である彼女に初めてあったときの、「子育てを終えたようには見えない」という印象を抱いた理由は、彼女と触れ合っていくうちに彼女に対して女性を感じたからだった。
こころとからだを女性と自認している人の人生は、幼児から女の子となり、だんだんと少女になっていく。人それぞれのある境目を機に女性になり、結婚をしたのなら妻になる。そして出産をしたのなら母になる。これが今の日本での一般的な認識で、私もそのように考えてしまっていた。
日本の男性と女性の違いがあるのだとすれば、女性には女性のその先にある妻や母という立場に、人間としての在り方を大きく左右されることが多い。
そこには男性より社会進出が遅れているという側面や、女性は家庭に入るという概念がまだ根強いことなどが挙げられ、女性自身が妻や母という自分の立場を最終地点として抜け出さずに、あるいは抜け出せずにいる。
けれど彼女は子育てを終え、妻や母という立場に左右されることなく、1人の女性として自分の人生を生きている。
最近では離婚を経験し、新しい恋もしたそうだ。20代の私と遊びに出かけたり、同僚の若い子たちと恋バナをしたりと、妻や母の立場からではなく私たちと同じ1人の女性として存在しているのだ。そんな当たり前のことに、私は彼女と出会うことによって気づいた。
「セカ活」をすることは、年齢を重ね成熟したからこそできた価値観で、女性としての自分自身の生き方を見つめ直すことなのかもしれない。
いままで忙しなくこなしてきた「やらなくてはならないこと」はあなた自身のものではなく、立場・役割としての妻であるあなたや、母であるあなたのものであった。
もちろん、セカンドライフやセカンドキャリアは新しく何かを始めることではあるが、もしかしたらセカンドというのは名ばかりで、何十年か前に一旦ストップしていたあなた自身の人生を再開することなのかもしれない。
40代から60代。セカ活をするということは妻や母という立場からの解放という意味だけではなく、1人の成熟した女性としてまた自由になったということ。10代のころに感じていた自由と同じ、いや金銭面や経験値からすればそれ以上の自由を手にしたということなのだ。
そう考えると、私たちの人生は死ぬまでときめきや未知を経験し続けられるものなのだと、60年先の自分も楽しみになる。セカ活は現代に生きる私たちに必要不可欠な人生の一大イベントなのだ。
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