配偶者との離婚話が進まないとき、誰でも利用できるのが離婚調停です。
家庭裁判所で申し立てを行い調停委員とともに妥協点を探していくのが離婚調停ですが、外部の力を借りることに否定的な人たちもなかにはいます。
本人は決意しても周囲からあれこれと口を出されることも、離婚では大きなストレス。調停を行うことを、特に家族から反対されるのはつらいですよね。
離婚調停について家族はどんな反応をしたか、またどう乗り越えたか、実際のケースをご紹介します。
ここまでしないと伝わらない真実(33歳/サービス業)
「2年前に調停で離婚が成立しましたが、最初私の両親は大反対でした。
田舎の農家で長年生計を立ててきた両親は、元夫のモラルハラスメントを訴えても『どこもそんなもの』『それくらい我慢するのが妻』と、結婚しているころからまったく取り合ってくれなかったですね。
元夫は、持病があって外で長時間働けない私に『俺に感謝しろ』『俺に捨てられたらお前は生きていけないだろう』とすべての家事を押し付けて、夜のベッドも強制するので本当につらかったです。
こんな人間の子どもを産むことをためらっている私に『それくらいは役に立て』と暴言を吐き、それがきっかけで離婚を決意しました。
私の病気のことは当然親も知っているけれど、特に母親は『そんな体でももらってくれたのだから』と元夫の言動を許すよう私をいつも説得していました。
そんな状態なので、私が離婚したいと打ち明けたときは『馬鹿なことを』と真っ先に怒られ、想像はしていたけどやはりショックは大きかったですね。
それでも離婚を諦めなかったのは、このままでは本当に心も体も壊されてしまうという恐怖からで、自分でいろいろと調べて離婚調停があることを知りました。
親は頼りにできないし別居するお金もない、同居したままでの調停は精神的にかなり負担があるとわかっていましたが、子どもがおらず私ひとりなら何とかなる、とあのころは歯を食いしばって気持ちを奮い立たせていましたね…。
裁判所からの通知を見た元夫は案の定『いますぐ取り下げろ』と顔を真っ赤にして怒鳴ってきましたが、それを録音し、ひたすら無視で耐えました。
元夫は最初『俺は行かない』と言っていましたが、家のなかで私の態度がまったく変わらないことで戦法を変えようと思ったのか、一回目の期日には裁判所に来て調停委員のおふたりに延々と私の至らなさを話していましたね。
でも、調停を申し立ててからの元夫の暴言を私はずっと録音しており、それを聞いた調停委員のかたは『いまのことではなく、昔からこんな感じで奥さんにきつい言葉を吐いていたのでは』と元夫の言動を正面から問い詰めてくれました。
行為を強制する言葉もしっかりと残っており、それを裁判所で聞かされた元夫がどんな気持ちだったか、いまは胸がすく思いがします。
調停が始まってから両親とは連絡を取り合っていなかったのですが、母親から電話があったときに『私から申し立てをしていま話し合いを続けている』と伝えると、『離婚が確実なら、うちに戻ってきなさい』と諦めたように言ってくれました。
その後、調停を続けながら両親にも元夫の暴言を聞かせたところ、父親は目をつぶって暗い顔をしていましたね…。
嫌がっているのに娘が無理やり行為の餌食になるなんて、親からすれば相当にきつかったと思います。
それでも、『ここまでしないとモラハラは証明できない』と私は腹をくくっていました。
両親は私のこれまでの言葉が本当にそうだったと実感したのか、それからすぐ家に戻ってくるように言い、別居できたので本当によかったです。
調停は元夫が諦める形で離婚が成立し、財産分与もきちんと行えて満足しています。
離婚について、家族の理解は難しいのだなと思いますが、モラハラが原因なら証拠が本当に重要です。苦しかったし大変だったけれど、自分のためと思えば最後までがんばることができました」(33歳/サービス業)
結婚について、「妻は夫に従うべき」「モラルハラスメントは大目に見るべき」のような古い価値観を持った人は一定数います。
特に女性側に事情がある場合、結婚そのものを「ありがたい」と過剰に受け止めて我慢することを求めますが、実際につらい思いをしているのは本人なのに、それまで無視していいのでしょうか。
一方で、娘が夫にないがしろにされている現実は、目の当たりにしない限り伝わりにくいのも本当です。
調停でも録音や記録は調停委員の説得にかなり有効ですが、親など周囲の人たちに対しても、配偶者の異常さを示す貴重な証拠。
反対に負けず、自分の幸せを目指すエネルギーが離婚の成功には不可欠と言えます。