こんにちは。垣屋美智子です。証券アナリストとして10年間従事した後、現在はスタートアップ企業の財務・経営支援をするほか、事業分析力と会計知識を生かし「誰でも今すぐできる」をテーマにマネー、ライフ、キャリアについて執筆、講演活動を行っています。
きょうは、「管理職になりたい割合」が日本が最低の理由について考えました。
管理職になりたくない日本人
管理職になりたいと思っている人の割合は、アメリカやイギリスが60%弱なのに対して日本は20%程度。
管理職って「なり損」と思っている人も、相当な割合いるということです。(参考:日本経済新聞)
その一方で、政府は女性の取締役の割合を2030年までに30%に引き上げるなどの目標も掲げており、まさに政府が目指していることと個個人が目指していることのギャップが広がっているのではないかと感じています。
では、どうして日本は海外と比べて管理職になりたいと思う人が少ないのか?会社が原因?それとも、日本人が単に向上心が低いだけでしょうか?
私は、会社要因が大きいと考えています。
まず、日本企業は大企業社員という肩書きだったり、部長という役職であったりの「ステータス」重視で社員を雇っていると思います。これは言い換えれば、やりがい搾取です。
やりがい搾取と言える理由は後ほど説明するとして、昨今は、昔ほど個個人がステータスに捉われなくなってきました。
いまの感覚だと、有名企業の役職に就いていて、私生活では睡眠が減り、週末はぐったりしてて、全然気持ちに余裕なさそうだとしたら、全然羨ましくないですよね。
では、どうして役職に就くことが羨ましくないにも拘わらず、この現状が継続しているかというと、企業が昔のままの経営をしているからです。
役職定義がなされないまま、いまに至る日本企業
まず、役職に就いたとしても、業務が増えるのは、管理職の仕事が明確になっていないため。
海外では、役職に就いた人はそのレベルの仕事に就く、ということなので、部長であれば部長としての仕事(たとえば部下の成績管理、部の売上の責任)、社長であれば社長としての仕事(たとえば全社の売上を上げる)で結果を出すことが求められます。
それを日本の企業では、年功序列で年長者が役職に就くという時代を経て、結局、役職の職務定義がはっきりなされないままいまに至っている気がします。
ですから、プレイヤーでもあり、他の部下の管理もするのが役職をもらったら当然のようになってしまい、そのしわ寄せは役職に就いた人にくるという状況です。
役職定義をしないことにより、適材適所が阻まれている
さらに、役職定義をしていない弊害はほかにもあります。
たとえば、いくら個人として営業がうまい人でも、部下の成績を上げて部の売上を上げることができるとは限りません。
逆もしかりで、個人としての営業はいまいちでも、チームの誰からも慕われる人物が部長に向いていたりもします。
ですから、部長は向き不向きがあるわけですが、そういう個人の特性も無視して「部員はみんな部長を目指すに決まっている。個人の成績がよい人物は仕事ができる=部長に適任」などという根本的な会社の勘違いにより、適材適所を阻んでいる構造になっています。
役職の責任が不明確なので給与も低いのが日本企業
また報酬の面でも、日本企業は役職に対する報酬が世界と比べても低いです。
たとえば、2020年5月時点の売上高1兆円を超える日米欧の社長・CEOの報酬総額ですが、日本の平均の社長年収は1.2億円なのに対して、米国は15.8億円、ドイツは6.9億円、フランスは3.7億円です。(参考:デロイトトーマツ)
社長の報酬が海外の企業と比べて日本は低過ぎると言えますが、これも、役職を軽んじている結果と言えるでしょう。
さらにこのデータを詳しく見ると、年収に対して日本と海外で大きく差が出ているのは、インセンティブ(=業績連動型報酬)であり、これは業績が上がれば社長の報酬も上がる仕組みです。
つまり、海外では業績をあげる責任を社長が担っていることが明確。
日本では「自分が任期の間は大きな失敗がなければよい」という事なかれ主義の社長がいる会社もありますが、それが許されないのが業績連動型報酬ということです。
日本企業が「やりがい搾取」だと感じる理由
このように見ると、日本企業は役職定義ができておらず、さらに役職への対価が低すぎるわけで、役職に就いた人は明確な業務内容もなく、報酬もそこまで上がらないにも関わらず、会社への愛ややる気を見せないといけないわけで、これはもう、やりがい搾取と言わざるを得ません。
今後管理職希望者を増やすためには、明確な職務内容と相応な対価が必要と言えるでしょう。
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