クィアマガジン「purple millennium」を運営し、LGBTQ当事者としての経験や考えを発信しているHonoka Yamasakiです。
私は、結婚そのものに魅力は感じないけど、結婚に憧れを抱くことがあります。
同性婚が認められない日本で、私にとって結婚は無縁。しかし、「女性は一人でも生きていける!」と言いながらも、大多数が可能とする結婚をしてみたい気持ちもあります。
結婚して、子どもを産んで、家族をもつことがノーマライズした世の中。結婚が美化され、結婚さえすれば幸せになれるかのようなイメージが作り上げられていますが、実際は結婚している人のなかでも不幸だという人も、反対に結婚していなくても幸せだという人もいます。
なので、個人的には結婚が人生の幸福度と直接関係するとは思わないのですが、社会人になり久しぶりに学生時代の友人と会うと、みんな口にするのは結婚。
「結婚?何それおいしいの?」と自分には関係のないような態度をとりながらも、本当においしいのか味わってみたい自分もいるのです。
「ステータス」となる結婚
学生時代で人生について何も考えずに一緒に馬鹿騒ぎしていた友人も、いまとなっては会社に属して働く社会人。久しぶりに会うと仕事のストレスのせいか昔のような元気さはなく、それが現実なのだと受け入れてしまいます。
20代半ばに入ると、「この人と一緒にいたいから結婚する」ではなく、「タイミング的にいま付き合っている人と結婚するのが妥当だ」「28歳で結婚するのがちょうどいいからこの人と結婚する」と、年齢を基準に結婚する人は少なくありません。
そんな年齢に突入する友人たちが、口にする「結婚」。会社に入ったあとは、結婚が待っている。まるですでに引かれているレールのうえで、人生の最終地点へゆっくり向かっているようです。
安定した職に就き、結婚して子どもを産む。そんな人生のイベントを一つずつクリアしていくことで、幸福を得られるのかと考えさせられます。
…と同時に、結婚の選択肢がない自分への複雑な気持ちも抱くのです。
大多数のなかに入りたい欲求
結婚が一種のステータスとなる反面、日本では離婚することも珍しくありません。実際、結婚して幸せな人生を送っている人は筆者の周りには少なく、パートナーの愚痴をこぼすばかり。
結婚がすべてではないことを知っていながらも、妙に結婚への憧れを抱いてしまうのは、一見すると矛盾しているようにも感じられるでしょう。
ですが、この矛盾したように思える感情には背景があり、たとえると、中学時代アイドルの話で盛り上がっている友人の輪に入れないような孤独感と似ているのかもしれません。決してアイドルを好きになりたいわけでもないけど、友人の輪には入りたい。
結婚も同様に、結婚するかは別として、結婚できる大多数の人たちのなかに入りたい。結婚ができる人たちの言う「どうせ私は結婚できない」「いつになったら結婚できるのだろうか」は、ときに結婚という選択肢がない人にとっては深刻に考えさせられるものです。
それぞれ違った人生があるといいますが、選択肢がないことで仕方なくいまの生活を選ぶ人に対して、「多様なライフスタイル」というのは綺麗事な気がします。マジョリティに属することは、選択肢があることで安心感を得られる特権だと思います。
結婚に年齢は関係ないとはいえ、30代に突入する人たちは結婚に焦り、出会いを求めています。20代のうちに結婚することがよいとされる雰囲気を少なくとも感じ取り、両親や周りが結婚した年齢を聞くと、私にもタイミングは迫っているとプレッシャーに感じます。
同性婚が法制化していない現実で、いつ結婚するかだけでなく、結婚するかしないかを選ぶ権利のない私でさえも、多少の焦りを感じるのは不思議なことです。
歳を重ね、さまざまな現実と衝突することで、弱者としてのマイノリティに位置付けられることが、社会から除外される存在であるかを知りました。