日本の「主義主張」を押し付ける傾向
ジェンダーフリーやジェンダーレスへの概念も然り、最近日本のナイキのCMが炎上しました。
CMは、妊婦が病院でエコー検査を受ける場面から始まります。お腹の赤ちゃんの性別が「女の子」と告げられると、妊婦も夫の脳内にも一瞬の不安がめぐり、報告を受けた妊婦の母親や親戚の少年も同じく不安の表情を浮かべます。友人同士の集まりでは「女の子って大変だよね」と口々に声を挙げるというものでした。
炎上商法を目的に作られたナイキの戦略であったのであればあっぱれなものだと思いますが、そうでなければなんともお粗末なCMです。結果、ナイキというイメージに泥を塗ったものとなりました。
最終的には、「わが社は女性の可能性を応援します!」的な仕上がりのCMなのですが、逆に「女性蔑視」と騒がれる結果に…。多様性を掲げた挙句、害と捉えられてしまったケースです。
大坂なおみ選手の全仏オープンでの会見拒否も然り。これについては数年前の大阪選手来日の際、日本での囲み取材を見ていた私も腹が立ちました。
取材陣が「芸能リポーター」というカテゴリーの人ばかりだったと思いますが、テニスにはまったく関係のない質問の嵐。「日本食で好きなものは?」「日本で何がしたいか?」「日本語で何か一言」などなど…なぜ、ああも幼稚なのでしょうか。海外でも日本食はいつでも食べられることを知らないのでしょうか。
また試合に負けた後の敗因、逆に勝ったときには勝因をと、試合直後に問いただす会見に応じることは、プロテニスプレーヤーとして強要されるべきことなのでしょうか。スポーツ選手にとって、会見での受け答えは「仕事の一環」として受けなければならないことなのでしょうか。
歌手は歌うことが仕事、役者は演じることが仕事、スポーツ選手はスポーツで戦うことが仕事であるはずで、その人がプロであるかどうかは世間や成績が決めること。けがや体の不調でない限り、会見を拒否することがルール違反であるのであれば、そのルールこそを見直させるべきだと私は思います。
「生きづらさ」の原因
こういう時代だからこそ、もっといろんな「いままでの常識」は多様化していくべきで、世間や古い常識に乗っ取った「世間」の考え方に自分を合わせる必要はありません。
それこそが、「生きづらさ」の原因であると思います。社会がそういう空気を作り出しているのだから、社会を変えることが難しくても、もっと自分を可愛がり、自分を甘やかし、世間や絆、調和という「きれいごと」に自分の身を置く必要はないことを知ればいい。
自分に与えられる時間は、だれもが24時間です。自分のため、自分のことだけを考え、自分だけは楽しめる、そういう贅沢な時間を多くの人は持つべきだと私は思います。
「人間失格の日」、私は自分でこうよびますが、こういう日を必ず作っています。人のためには何もせず、仕事もせず、ただ、だらだらと好きなものを好きな時間に食べ、寝て過ごす、そういう時間は誰にでも必要でしょう。
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