最近、アメリカと日本の「仕事」に対する考え方の違いについて考えさせられる出来事がありました。
私がフィットネスの指導を担当している日本人のクライアントさんは、体を壊すほど毎日仕事に追われています。
パソコンの前に10時間以上座り、腰や股関節を痛め、針治療を定期的に受けたり、痛み止めを飲みながら仕事をしているそうです。
話を聞くと、会社側の都合で人材不足が原因。人が辞めてしまったことで、辞めた人間の分の仕事が残った社員にのしかかる。
新人が入ってきたら、今度はその新人に対して仕事を教えるという業務が加わるため、悪循環。結果的に仕事量は減らないらしいのです。
「真面目で責任感が強い」と言われれば、誉め言葉として受け取りがちですが、果たして本当にそうでしょうか?
「辞めない」と「辞められない」
いまでは「ブラック企業」という言葉が使われるようになり、労働基準法の改正が行われ、「働き方改革」なる言葉もできました。それによって、雇う側は法に沿って雇用の改善しているのかもしれませんが、雇われる側の意識はどうでしょうか。
「真面目で責任感が強い」…やはり、変わっていないように思います。
雇ってもらっているという意識が高いからこそ、劣悪な労働条件でも仕事を辞めることができないのではないでしょうか。
そして、さらに、日本人特有の「責任感」。ほかの社員に、会社に迷惑をかけてはいけないという意識。こういう意識が高いからこそ、「辞めたい」けど、「辞めない」のです。
私のクライアントさんにも「辞めれば?」というと、「辞められない」と言います。「辞めない」という言葉には、本人の「意志」と決断を感じますが、「辞められない」という言葉は、自分以外の第三者の意志と周りの状況を理由にした「意志」のない結果的判断であると思います。
「新人のくせに」嫌味を言われた日々
きょうも、日本の「ブラック企業」に関する記事を目にしました。
「人気洋菓子店 残業100時間」(読売新聞オンライン)という見出し。たしかに、内容を見ると雇い主は悪い。でも、私は雇われている職員にも問題があると思います。
特に技術職、いわゆる「職人の世界」は徒弟制度が強く残る業界。仕事に関わらず、日本はいまだに「年齢」を基準に、言葉使いが変わったり、先輩後輩という序列によって完全に師弟関係が浮き彫りになりやすい。
学生のころの部活を考えてみても、新人(年下)は、球拾いに部室の掃除、グランド整備が当たり前でしたよね。
ここからは、私自身の話になります。私は、高校1年生のときに趣味の一環としてテニス部に入部しましたが、新入生は球拾いでラケットを持つことが許されないということを知ってから、2週間で辞めました。
私的には、好きなときにテニスができればよかっただけだから、厳しい先輩後輩の縦社会に属することが億劫だったのです。
だから高校3年生になってから、同じクラスの友人がテニス部部長の立場に昇格したことを知って、改めて入部しました。
友人にも「好きなときにテニスをさせてね!」と、学校の看板を背負うような試合には興味がないことをきちんと説明してテニスを楽しみました。
もちろん、基礎体力向上のための走り込みなどには、一切参加していません。勝ち負けには、一切興味がなかったからです。
学生のときから、先輩後輩の縦社会に属さなかった分、社会に出ても私は浮いていました。
短大を出て日本で会社に就職しましたが、遅刻ギリギリに走りこんで出社し、残業する先輩方を気兼ねすることもなく、誰よりも早く退社。当時は「新人類」という言葉が出回った時代だったので、その言葉に救われたのは否めません。
ですが、女子社員(先輩)たちからは、完全に見下され、嫌味ばかりを言われていました。「新人のくせに」とか「新人は誰よりも早く出社するのが常識」とか、「先輩にお茶を出すのは新人の仕事」だとか…。ごもっともだとは思いましたが、反省はしませんでした。
そもそも自分にとって「やりがい」のための仕事ではなかったからこそ、会社に対しての「奉仕精神」など微塵にも持ち備えていなかったのだと思います。
だから、当時私は会社で孤立していましたが全く気にならず、むしろアットホームな会社での社員同士のお付き合いに関わらずに過ごせたのがありがたかったくらい。
定時に出社して自分の仕事を終わらせれば、定時に退社するというただ生活費のための日課に過ぎない、これが私の「会社勤め」。残業は一切「いたしません」のスタンスでした。