クィアマガジン「purple millennium」を運営し、LGBTQ当事者としての経験や考えを発信しているHonoka Yamasakiです。
性のあり方について話すとき、身体的性、性自認、セクシュアリティの3つに集約されがちですが、服装、振る舞い、言葉などの「性表現」もひとつの要素としてあげられます。
また最近では、セクシュアリティは従来語られてきた「LGBT」の4カテゴリーだけでなく、LGBTQのQにあたる「Queer(クィア)」という言葉が意味するように、LGBT以外で無数に存在することが認知されつつあります。
先述したように、性のあり方はセクシュアリティや性別に加え、性表現と広義的な側面からも捉えられ、各要素が交差しながらも別のものとして並列しています。
つまり、4要素で示される性が一致することもあれば、バラバラな場合もあり、個体として存在します。
ですが「男性なのにスカートを履いてる」「女性なのに髪が短い」というように、「性の不一致」としてネガティブな文脈で語られることもあり、それらは4要素のうちの身体的性が優先されることにより生まれ、まだまだほかの3要素(性自認、セクシュアリティ、性表現)が無視されてしまう傾向にあると感じます。
さらに、女or男の2極が前提にあることで誰かが傷つくことも懸念され、まずは女or男ではないこと、4要素が必ずしも一致しないという認識をもつことから求められます。
さまざまな性のあり方
まずはじめに、性のあり方における各4要素を具体的に解説します。
- 身体的性
- 性自認
- セクシュアリティ
- 性表現
「身体的性」は身体構造や染色体により判断されるものであり、「性自認」とは異なります。
生まれたときに割り当てられた性別が女性だとしても、その人が自認する性別は一致しない可能性があり、たとえば「女性として生まれたけど、心は男性」「身体的性は男性だけど、自分は性別がない」という人もいます。
さらに、冒頭でもお話ししたセクシュアリティは「性的指向」とも呼ばれ、恋愛・性的な感情がどこに向くのかを表します。
恋愛・性的な感情を一切(もしくはほとんど)抱かない“Aceコミュニティ”も存在し、それらもセクシュアリティに含まれます。そして最後の「性表現」は、個人がどのように自己を表現したいかを指し、必ずしもほか3つの要素に一致するとは限りません。
性別ではなく個が基準の自己表現
これらの要素は性のあり方として語られますが、筆者個人として、身体的性以外は性別を基準にしない場合もあり得ると考えています。
たとえば、性自認がどの性別にも当てはまらない人や、性別関係なく相手を好きになるセクシュアリティ、女性らしさ・男性らしさを意識しない性表現など、性別に当てはめない(もしくは当てはまらない)場合もあります。
現段階では、女性=スカート、ピンク、フリル、男性=パンツ、ブルー、オーバーサイズなどのように、世間一般的にいわれる女性・男性らしさは存在しますが、男性でフリルが好きな人や、女性でブルーが好きな人など好みはさまざま。
言葉遣いも同様に、男性を自認し「あたし」と自称する人もいて、自分を表現する服装、言葉、振る舞いは必ずしも、性自認や身体的性に一致するわけではありません。
「ピンクが好きだからピンクを選ぶ」「パンツスタイルが好きだからパンツを着る」と、自分らしい表現を選ぶ人も増えてきている一方で、身体的性(あるいは見た目の性)と性表現が一致しない人を珍しく思う人もまだまだ存在し、誰もがなりたい自分になれる社会は実現していません。
そういった社会に到達させるため、性別二元論的な社会のなかで、あえて男女に当てはらまらない中性的な服装を選んで可視化させようとする人もいます。ですが、その一歩先の、誰も自己表現できる社会が最終的にあるべき未来です。