20歳年上の夫とマイペース高1息子と暮らすアラフィフ主婦ライター、塩辛いか乃です。
最近巷で、トイレやお風呂に男児を連れて入ることがタブー視され始めているらしいですね。いわゆる「男児ヘイト」ってやつ。
高2になってもいまだにわたしにべったりの一人息子を持つわたしとしては、気にせずにはいられないトピック。今回はこのことについてお話します。
「なんでも排除」な風潮
この男児ヘイト云々の前に思うこと。それは「本当に生きにくい世の中になってしまったなぁ」ということ。
たぶんこの男児ヘイトの発端も「小さい男の子が胸を触ってきて不快だった」とか「娘のお尻を触る子がいて迷惑」とか、個人レベルの話だったと思うんですね。
それがSNSの普及で個人レベルの話がバズって「男児を女性用の風呂やトイレに入れるな!」となってしまっている。
もちろん、なかにはそういう子もいると思います。そして、不快な思いをされた方もいると思います。
だけど、こういう「なんでも排除」な風潮こそが子育てをしにくくして、生きにくい社会にしているんじゃないかなと思うんですよね。
こういう風潮になって、小さな男のお子さんを持つママたちは、ただでさえどこに行くにもベビーカーが邪魔だの、子どもがうるさいだの、じっとしていないなどで気を遣ううえに、トイレもおちおち行けない状況になる。
自分がトイレに行きたいのにつれて入れない、子どもがトイレに行きたいのにつれて入ると嫌な視線を感じる。もう出かけるのも嫌になりますよね。
かと思えば「多様性」を掲げた男女共用トイレが鳴り物入りで参上し、男性が「心は女性」と女性トイレに忍び込んでよからぬことをしでかしたり…と、取り締まるべきはそちらなのでは?と思ってしまいます。
トイレに1人で入るなんて「絶対無理」な子もいる
息子をこの「男児ヘイト」の時代に育てていたら、ただでさえ大変だった子育てはもっともっと大変になっていたと思います。
息子は高2になりましたが、小さなころからずっと知らない場所が怖い子でわたしにベッタリでした。1秒でもわたしの姿が見えないと不安がって泣きます。
3歳くらいのころ。ファミレスに入り、ドリンクバーを取りに行くのも泣くので、ドリンクバーに一番近く、飲み物を取りに行ってもわたしが見える席に座りました。
顔が見えるから大丈夫だろうと、飲み物を取りに行くために席を立った瞬間に「いやー!」と泣きます。
こんな調子なので、男児ヘイトなんてされたらたまりません。
そんな息子は、男子トイレに1人で入るなんて絶対無理でした。しかも赤ちゃん期を過ぎて体が大きくなってくると、女子トイレの個室に一緒に入るのも狭い。
「みんなのトイレ」があればそこに入ってましたが、どこにでもあるわけではなく、なかなかお出かけ先では不便な思いをしました。自分がトイレに行きたくても我慢したりね。
子ども1人で行けたとしても、最近は幼児狙いの性犯罪も多くなっており、男の子とはいえ放置というわけにはいきません。
トイレに1人で行かせるのは、なかなか怖いです。子どもが多い場所ならまだしも、駅のトイレのような雑多なところでは、せめて小学生になるくらいまでは親と一緒にいないと怖いような…。
生理現象なので「ここではダメ」とも言えず、おむつをつけて歩かせるような本末転倒なことになりかねないのではないでしょうか。
トイレはもちろん、息子は旅行先でも当然わたしにベッタリでした。
温泉なども、夫が一緒でも「お母さんがいい!」と言って離れないので、小3くらいまではわたしが連れて入っていました。
怖いからわたしにくっついているので、「女の人の身体をジロジロ見る」とかはありませんでしたし、みなさんにご迷惑をかけるような行動はしていなかったかと思いますが…そういう子って、そんなに多いんですかね?
拡散されれば「正義」なのか?
本当に、少子化対策ってお金をくれればいいってもんじゃないよなぁと思います。
こういうところで、少しずつ子育てがしにくくなっている。そして、それをこれから子どもを産む世代の女性は知っている。
そりゃー産みたくないでしょうね。だいたいの場所で邪魔者扱いされて、ろくなことがなさそうだもん。
実際、日本で子育てしてきて肩身が狭い思いをしたこともたくさんありますし、子連れで不便でも助けてもらえなかった経験もかなりあります。
余計なことをしないようにとの配慮かもしれませんが、あまり手を差し伸べてくれる人って経験上多くないんですよね。
もちろん親切にされたこともありますし、それぞれをすごくよく覚えていて、してもらって嬉しかったことは、別の方にお返しするように意識しています。
でもなんとなく自分の記憶を比べると、肩身が狭い思いをした記憶のほうが多く残っているかなと。
「もう1回、1から育てて」と言われたらウンザリするくらいの大変さは味わっているので、「産んだほうがいいですか?」の問いには、全力で「イエス!」と言えないかも。
子どもという存在は、子どもを持った人にしかわからないであろう大事な存在。それはたしか。
ですが、子育てはその大事な存在を守るために結局は自分の時間や体力を削るわけですし、いわば肉体・精神両方ともがっつり使う労働です。
さらに生かしておくだけではなく、とりあえず社会に出てやっていけるようまともな人間に育てねばと頑張ってはいるのですが、そういう子どもやママたちへの理解が広まるどころか「ベビーカーをたため」だの「男児はトイレに入れるな」とか言われた日には、もう嫌。
「男児ヘイト」を言い始めたのは、おそらく男児の母ではないですよね。女の子しかいないママ、もしくは子どものいない女性でしょうか。男性は言わないでしょうから、メインはその層ですかね。
「男児ヘイト」を叫ぶ方たちも、将来男の子を生むかもしれない。自分事になったときにも、同じことが言えるんでしょうか。
なんというか、最近の世の中って「個の世界」が強すぎるような気がします。ひとりひとりを大事にするっていうより、自分の主張が強くて周りのことを考えてない感じ。
わたしだって、もともと子どものうるさいのはダメなので、息子が小さいころは大丈夫だったのに、最近では小さい子どもがギャーギャー騒ぐのがダメになりました。
そりゃ「うるさいなぁ」とは思いますけど、それをSNSに書いて拡散したりはしません。
だいたいね、なんでも自分の意見を拡散すればいいってものでもないでしょう。
表現の自由だのなんだのと理屈をこねて文句を言っては晒す人たちをたくさん見かけますが、そんなのいちいち書いて拡散することでしょうか?
街を歩けば嫌な思いをすることだってあるでしょう。だからって晒していいのか?SNSに書いて、拡散されれば正義なんでしょうか?そしてそれに流されてあおるメディアもどうなんでしょう?
情報があふれる時代だからこそ、その情報を自分の価値観というフィルターを通して、自分の頭で考えるプロセスが必要だなと思います。
男児ヘイトもね、男児の総数がどれだけいて、そのどれくらいが困った行動をとるのかわかりませんが、なんとなくこのまま流されて男児を育てるママの首を絞めるような世の中にならないことを祈ります。
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