家族それぞれの「幸せ」とは
「ただいまー。ふー、疲れた」
俊二が帰ってきたのは、18時過ぎだった。
「おかえり。夕飯、できてるよ」
俊二はいま農家で働いているので、朝は早い。だが、なんだかんだ本人には性に合っているようだ。そもそも俊二はのどかな場所で育ってきているので、いまの生活にもあまりギャップはないように見える。
「え、彩絵さんたち、東京へ戻るの!?」
ざく切りにした新鮮なトマトを口に運びながら、俊二は目を見開いた。彩絵たちには何度か会ったことがあり、家に遊びに来たこともある。
「うん。私もびっくりしちゃった」
「なんか、理由があるのかな」
「やっぱり、東京での暮らしとはいろいろギャップがあったみたい。まだ20代で若いし、東京へ戻っても全然やっていけるとは思うけどね」
「そっかぁ」
俊二は、残念そうな表情を浮かべた。
「…真依子さんは、どう?」
「え?」
「こっちに来て3年半くらい経つけど、どう感じてるのかな、って」
「…もちろん、こうやって平和に暮らせていて幸せだし、いいところがたくさんある場所だと思う。どこへ行くにも車が必要な生活も、さすがに慣れたしね。でも、子どもたちの将来のことは、ちょっと心配」
「たとえば?」
「園とか学校とか、習い事とか。豊も来年から幼稚園だけど、そもそも幼稚園自体が少ないから、実質、選択肢があんまりないんだよね。市内までがんばって通うことにすれば、もう少し選べるけど。そこは、正直気になるかな」
いまはまだ小さいからいいが、いずれやってくる進学のことも心配だ。いま住んでいる場所から通える学校はやっぱり少ないし、限られた数校のなかから選ぶことになる。習い事だって、都内ならば無限にあるなかから選べるけれど、ここでは数えるほどしかない。
自分たちの都合で決めたことが、結果として子どもたちの可能性を狭めてしまうことになるのではないかという不安が、真依子にはふつふつと湧いてきている。
自然豊かな環境での子育ては確かにいいことだが、学習や受けられる教育などの面については、都会で育つ子との差は開いていってしまう一方なのではないかとも思ってしまう。実際に移住をして子どもを育ててきたことで、リアルに感じているところだ。
「確かに、そこはあるかもね。まぁ、子どものうちはのびのびと育ってくれればいいのかな、とも思うけど」
俊二は言う。
「俊二くんは、ここにずっと住み続けたい、って感じ?」
「ん?そうだね、別に、大きな不満があるわけでもないし…。ただ、たとえば子どもたちの都合に合わせて市内に引っ越すとか、近隣のもうすこし便利なところへ引っ越すとか、そういうのはありだとは思うかな」
確かに、別に移住したからといって、同じ場所へ永住しなければいけないというわけではない。
「いつか東京に戻る選択肢も、ある?」
真依子はそう聞こうか迷ったが、やめておいた。少なからず、いますぐに実現することではないのだから。
結婚している限り、どうしても「家族としての幸せ」という観点からものごとを決めることが多い。だが、家族といえども、ひとりの独立した人間同士であることには変わりはない。豊にとっての幸せと、これから産まれてくる下の子にとっての幸せ、俊二にとっての幸せ、真依子にとっての幸せというのはそれぞれ、重なり合わない部分というのは確実にある。
真依子にも真依子の人生があり、母親として以外の、自分だけの世界というのもある。そしてそれだって、ないがしろにしてはいけないものだ。
「パパ、お庭、いこう」
豊が、食べ終わった俊二の手を引く。体力があり余っている3歳児は、一日中元気だ。それに、外もまだまだ明るい。
「いいよ、行こうか。真依子さん、時間、大丈夫なの?」
「ありがとう、そろそろ2階に上がろうかな」
真依子は、ゆっくりと立ち上がった。