結婚しよう。そう言われても喜べない心のうち
同僚たちが結婚についてさまざま話しかけてくる言葉はすべて小鳥のさえずりのように聞こえた。もう頭のなかでは、結婚するまでにやらなくちゃいけないことリストを作成していたからだ。
第一にして最難関最重要関門。私の両親への挨拶。
私たちは7年前に出会ったが、いままで付き合い続けてきたわけではなかった。付き合ったり別れたりを繰り返し、お互いの大切な人への紹介を避けてきた。
結婚する当事者ふたりにとって結婚は必然のようなものであり、そのつもりで付き合っていたが、家族の反応や籍を入れるまでの苦労が容易に想像できた。
一人娘で大事に大事に育てられた25歳の私と、知らないところで娘と人生を重ねていた見知らぬ33歳の男性を前にした両親の反応は戸惑いと不安にあふれるだろう。その顔が頭に浮かぶと、不安と焦りがあふれてしまった。
何から話して、どんな手順を踏めばいいのか。自分と同じ人間なんて存在しないように、自分と同じ家庭環境と生い立ちの人間なんて存在しない。誰に聞いても検討外れな答えしか出てこない気がした。
それと関連して、結婚までのスケジュール調整。来年の頭と言われたものの、それまでにこのコロナ禍でお互いの親への挨拶や両家挨拶、引っ越しを済ませることなんて不可能だと思った。
彼の両親は離婚しているし、住んでいる場所も離れている。ひょいひょいと県を跨げるようなご時世でも私たちの仕事でもない。
彼はもう33歳で、結婚するという報告だけでほかには何もいらないと常々言っていたが、私自身がそんなわけにはいかなかった。義父母を大切にして本当の親のように接したいという価値観があった私は、報告のみの結婚をしたくなかった。
最後に、心の準備。結婚したい、という気持ちはあったものの、大学を卒業し独立して3年。ひとりで生活する時間が終わり、苗字が変わる。
名前が変わったからって私じゃなくなるわけではないと頭ではわかっていても、絶対的にいままでの人生とは違うステージに上がるのだと思うと足がすくんだ。もちろん、彼と別れるつもりなんてないし結婚する気でいるのに、別の人生を一人で生きている自分を想像すると寂しくもなった。
そして何より、私が「腹をくくれ!」と言ったのは、「結婚してくれ!」という意味ではなかった。お互いがお互いの存在を意識して生活できるようになりたかっただけだった。
私にとって結婚は、人生の交わりだと思っていた。お互いが出会う前の人生も現在も未来の人生も重なり合うこと。いま目の前にいる私や彼は、それまで生きた過去が作り上げたもので、現在進行形でここに存在するふたりは未来の自分を作るものなのだ。
けれど居酒屋で私に話しかける彼は、私の前だけで生きている彼で、あと2時間してこの店を後にしたときに彼は別の人生を生きるような、そんな気がしたからだった。このままじゃあと何年こうしてふたりで付き合っていても、お互いの人生は交わらない。そう感じたからだった。
喧嘩が増える毎日。付き合うだけならどれだけ楽だろう
結婚するまでに立ちはだかる壁について、彼に話すことは簡単にできなかった。彼は彼なりに考え出した答えだったし、そんな話を持ち出すことはナンセンスな気がしたからだった。「そう言ってくれて嬉しい」そう思わなくてはならないと自分に言い聞かせた。
おわかりの通り。彼の宣言通りうまくいくわけがなかった。
結婚準備に対する不安に苛立つ私と、私が何にイライラしているのか分からない彼。とにかく喧嘩が増えた。
親に会う順番。スケジュール調整。お互いの親に対する態度や考え方。貯まらない引っ越し資金。女性のキャリア形成に対する焦り。養わなくてはならない時期があるかもしれないというプレッシャー。
付き合っているだけのふたりでいられたら、どれだけ楽なんだろう。お互いがお互いを傷つけ合い、それでも一緒にいたいが故にその傷に手当をし合った。