昇進と復讐
数週間後、社内メールで回ってきたのは明日香の昇進と部署移動だった。かねてから望んでいた企画部への異動が決まったのだった。
これまで由梨に押し付けられてきた仕事の成果が認められ、部長がそれ相応の評価をしてくれた。これで、やっと由梨から離れられる。
メールの下段には、残業の押しつけに対する警告も書かれていた。今後しばらくは部長が部署に出入りし、働き方を監視するらしい。
課長も相当なお咎め(おとがめ)を食らったのだろう、「自分の仕事は最後まで自分で責任を持ってやるように」といまさら当たり前なことと言っていた。
お局である葛城は明日香の横にやってきて、「おめでとう、今度お祝いしようね」と言ってくれる。
それと同時に「もっと力強く守ってあげられたらよかったけど、部長に頼っちゃってごめん」と言った。
「部長に残業時間の相談をしたの、葛城さんだったんですか?」
「うん…このままほっといたらほかの社員にもよくないと思ったし。うえの人から行動を起こしてもらったほうがいいかなって思って。残業の押し付け禁止っていう部長からの忠告がどれだけ効果を出すかはわかんないけど、いまはとりあえず町原を楽にしてあげたくて…遅くなってごめん」
頭を下げる葛城を、明日香は涙をこらえながら見つめた。
「ありがとうございます。葛城さんがいてくれてよかった」
葛城は照れ臭そうに笑って、チョコレートをひとかけ置いて自分のデスクに戻っていく。数分後、少し遅れて出勤してきた由梨が異動メールを見て楽しそうな声をあげた。
「やばぁい、明日香ったら企画部に異動なの?ますます独身コースまっしぐらでしょ、かわいそう!」
クスクスと笑いながら話す由梨の声は、明らかに明日香をバカにしていた。メールの下段に書かれている残業の押し付けへの忠告には一切目もくれず、ただ明日香をあざ笑う。
「もともと望んでいた部署だからいいの。結婚は当分する気ないし、由梨は頑張ってね」
「明日香に応援されてもなぁ、でもまぁ言われなくても頑張るし?ってか、異動するなら担当してる事業はどうするの?まさか私に振ったりしないよね」
「すでに引継ぎしたから大丈夫。郡山さんの会社との案件は企画部で受け持つことにしたよ」
「そっかぁ、よかった!前に婚活してたさ、遠堂さん覚えてる?彼、たぶんまだ私に気があると思うの。女の勘っていうか、なんとなくそんな感じするんだよね。昨日もメッセージ送ってみたらちゃんと既読ついたんだよ?ブロックしないってことは、私のことまだ気になってるんじゃん。だから、次の担当に私が指名されちゃったらどうしようって思って…ストーカー化とかしたら怖いじゃない?」
由梨の勘違いっぷりに吹き出しそうになりながら、明日香はただ一言「そうだね」と返す。
その日、明日香は珍しく定時で退社した。これからはもう珍しくならないのだが、いまはまだ珍しかった。
「ねぇ明日香、昇進祝いで飲みに行かない?私きょうは予定空いてるの、どう?」
ニヤニヤしながら声をかけてくる由梨の誘いを明日香は丁重に断る。
「ごめん、きょう先客があるの」
「うそぉ!明日香って会社の人以外に友達いたの?びっくりなんだけど」
驚く由梨をしり目に、明日香は会社を出て行く。
そして数歩歩いたところで、由梨の「え?」という声が背後から聞こえた。
「町原さん」
「遠堂さん、お待たせしました」
由梨が驚くのも無理はない。会社の前では、遠堂が明日香を待っていたのだから。
まだ自分に未練があるはずだと由梨が信じていた相手が、いまは明日香を見て微笑んでいる。
「それじゃあ行きましょうか、ここから近いところにしたんです…って、あれ小島さんじゃないですか」
遠堂は私の背後でプルプルと震えている由梨にちらりと目をやった。
「ああ、挨拶してきます?」
「いえ、もういいです。彼女と話す時間がもったいない。早くお店に行って話しましょう。郡山さんが待っています」
「ええ、そうしましょう」
由梨は勘違いしているようだった。私と遠堂が付き合っていると。
本当はただ、郡山と遠堂が「昇進祝いもかねて、食事に行きませんか」と誘ってくれただけなのだが。
しばらく勘違いしてもらって、勝手にイライラしてもらおうと明日香は思った。少し、心が軽くなる夜だった。
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