「なぁ、由里。俺たちそろそろヨリを戻さないか?」
かつて好きだったころと同じ、まっすぐな瞳で、彼は私の顔を覗き込んでくる。あのとき、心から愛した人がそこにいた。
- 主な登場人物
- 由里:この物語の主人公
- 和樹:婚約破棄された由里の元カレ
突然の婚約破棄
3年前、8月。
「和樹!やばい!このウェルカムボード優勝すぎる!」
SNSで見つけたデザイナーに半年前に依頼し、やっと届いた結婚式のウェルカムボード。絵のタッチが気に入って依頼したデザイナーだったが、想像以上に可愛いウェルカムボードを作ってもらえた。
「全然似てないって言われちゃうかな?それくらいかわいい」
ウェルカムボードに描かれた似顔絵の私たちは、参考に送った写真の姿よりも8割くらい美人になって見えた。
「ウェルカムボードもできあがったし、ペーパーアイテムもほとんど揃ったよ!あしたはね、席札が届く予定なの」
注文履歴を和樹に見せようと、スマホを開く。
3週間後の結婚式に向けて準備はラストスパートに差しかかかっていた。
あしたはブライダルエステの予約も入っている。スタッフのお姉さんも昨年結婚式を挙げたらしく、式の準備についていろんな相談に乗ってもらうのが毎回楽しくて仕方がない。
「席札はキーホルダー型にしたから実際に見るのが楽しみ…和樹?」
ふと、ここまで一言も発していない和樹の様子が気になって顔を上げた。
何やら神妙な面持ちで、和樹はずっとうつむいている。2年前、同棲を開始するときに買ったソファーに腰掛けて、新婚旅行の旅行先を決めるべくもらってきた、たくさんのパンフレットを見つめて。
「どうしたの?緊張してるの?」
みんなから招待状の返事が来るたびに、私も結婚式への実感がわいてきて、緊張が止まらなかった。式まで残り1カ月を切ったとき、ようやく緊張が楽しみに変わったものだ。
和樹は招待状を受け取っても「みんな来てくれるんだ、うれしいな~」としか言っていなかったが、いまになって実感がわいたのか。
「和樹?」
和樹の横に腰掛け、顔を覗き込む。やはり緊張しているらしい。顔がこわばっている。
「もう、緊張しすぎ!リラックスリラックス!」
ポン、と和樹の肩に手を置いても、和樹の顔は変わらない。そうしてゆっくり私のほうを向いて、重い口を開いた。
「由里、ごめん。俺好きな人ができたんだ」
付き合って5年、同棲して2年、プロポーズを受けて半年、結婚式まであと3週間。
言葉ひとつで殴られたような気持ちになったのは、これが初めてだった。
幸せな時間の終わり
嘘だと思った。テレビのドッキリ企画に和樹が応募していて、実は室内にカメラが仕掛けられているんだとも思った。
だから最初は話半分で聞いていて、早く種明かししなさいよ!と感じていた。
しかし和樹はただ「ごめん」というだけで、「あしたゆっくり話そう」と言った以外何も言わない。そして夕方になっても夜になっても和樹は「ドッキリ大成功」の札を持ってこない。
その翌週、私と和樹は互いの両親の立会いのもと、結婚式をキャンセルし、婚約破棄を行なった。
和樹が慰謝料を振り込んでくるまで、私はまだずっと「壮大なドッキリ」だと思っていた。
その後友人に聞かされたのは、和樹はプロポーズ後に行った同窓会で初恋の人に出会い、そこで再び彼女を好きになって、いま猛アプローチをしているという話。
自分からプロポーズをしておいて、一度は幸せにしたいと思った相手をそう簡単に捨てるのかと呆れてものが言えなかった。
せっかく注文したウェルカムボードは日の目を見ることなく、大量に送られてきた招待客の席札も一度も袋から取り出されることなく、ついに婚約破棄から1カ月後に捨ててしまった。
気持ちを込めて作ってくれたデザイナーのことを考えたとき、悔しくてようやく涙が出てきた。
「どうしてその人を好きになったの?」
婚約破棄から半年後、気持ちがまだまとまらない時期に和樹と話す機会があった。
まだ片思い中だという和樹だったが、心なしか表情がスッキリしているように感じる。それがなんだか腹立たしくて、怒りがとめどなく押し寄せてきた。
「頑張り屋で、夢に向かっていつも諦めない子なんだ」
「そう」
「…由里はさ、結構現状に満足してるところがあるじゃん。変化を求めないっていうか…向上心がないっていうか…いい意味で平凡だよね」
「何、急に私の悪口?」
「いや、悪口じゃないんだ。俺は由里のそういう安定しているところが好きだったし。でも、転職したいって言っても行動するわけじゃなく、もっと稼ぎたいって言っても副業しないし、なんていうか…口だけだよなって思うところがあって。でも彼女はね、有言実行するタイプなんだよ。俺は向上心のある彼女と一緒にいたほうが、この先成長できると思ったんだ」
そんな和樹の言葉を聞いたとき、怒りで思わず手が出そうになった。
そもそも転職しなかったのは、和樹が「転職したら引っ越しの可能性もあるんでしょ?職場に近いいまの家から引っ越したくないよ」と言ってきたからで、副業を始めなかったのも「俺との時間がなくなるからやめてよ」と和樹が懇願してきたからではないか。
それでも私が「チャレンジしたい」と言ったら、不機嫌になったから、私は仕方なくやめたのだ。
和樹のせいにしたいわけではない。やめるという選択をしたのは自分自身だ。しかし、私が口だけだと言われるのは納得がいかない。
結局そのときは「私のこと、そんな程度にしか見ていなかったこの人と、結婚しなくてよかったのかも」と言い聞かせ、怒らずにスッキリと解散した。
それが、和樹と最後に会った日だった。