2年前、幸せな家庭を夢見て建てた新築一戸建て。しかしその家に、家族でもない赤の他人が居座るようになった。夫の同僚、健太郎だ。
主人公の梨香子が陣痛がきた夜も、夫の雄二と健太郎は酒を飲みながらゲームをしていた。陣痛がきた梨香子はタクシーで病院に向かい、ひとりで我が子を出産。
立ち会い出産を予定していた夫は、二日酔いで来ることができず、病院に来たのは生まれてから2時間後だった。
1週間後。我が子と共に退院し、初めて家族3人で過ごすはずだった日。玄関を開けた先に待っていたのは、健太郎だった。
健太郎の身勝手な行動に、ついに我慢の限界を迎え、自宅の鍵を取り替えた梨香子。
何も知らずに帰ってくる雄二と、いつも同じようについて来る健太郎は、開かない鍵を前にどんな行動をするのか。梨香子はただじっと、インターホンが鳴る瞬間を待っていた。
第1話:陣痛がきた妻を横目に、同僚とゲームをする夫。退院後さらに幻滅した理由
第2話:生後1カ月の娘がいる家に、高熱で居座る夫の同僚。妻がキレた「ありえない言動」
離婚の意思
夜8時、インターホンが鳴った。
授乳中だった私はインターホンを無視して娘に話しかける。
「いまごはんだから、無理だよねぇ」
1分後にもう一度鳴ったインターホンを再び無視すると、次はスマホが振るえた。雄二からの着信だった。
「もしもし」
『もしもし、梨香子?いま家?』
「うん、そうだけど」
『あのさ、玄関のドア開かないの。鍵が入らなくて…』
「ああ、そうだよ」
『え?』
「だって鍵変えたもん」
『…え?ちょっと、どういうこと』
返事を聞かないうちに私は電話を切る。ゆっくり娘の授乳を終え、服を直し、娘を抱きかかえた。その間もずっとスマホの振動はやまない。
寝室から一階に降りて玄関の前に立つ。扉の外で、雄二と健太郎が困惑した様子で立っているのがうかがえる。
娘をリビングのベビーベッドに寝かし、「ちょっと待っててね」と声をかけた。
そして再び玄関をあけようとする前に、私は扉にチェーンをかける。そして鍵をあけ、ドアを少しだけ開けた。
「あ、梨香子!鍵変えたなら教えてよ、びっくりしちゃったじゃん!」
勢いよくドアを開けようとした雄二は、チェーンに引っかかってこれ以上ドアが開かないことに気づく。
「ちょっと、チェーンかかったままだよ。とってよ」
「その前に言うことがある」
入院初日に荷物を持ってきて以降、雄二はお見舞いに一度も来なかった。
それでますます私は雄二への恨みが膨らんだが、それと同時に冷静に考えられるようにもなっていった。
離婚を提案する前に、一度ガツンと言ってみよう。それでも何も変わらないのなら離婚を提案しよう。
「雄二はこの家の人だからいれてあげようと思うけど、健太郎くんは違う。この家の住人じゃないのだから、金輪際私の許可なしに家に上がらないで。迷惑!」
ドアのスキマ越しに、私は雄二と健太郎を交互ににらみつける。
「一晩泊まりに来る程度ならなんてことないわ。でもなぜ勝手に居候しているの?おかしいでしょ。家賃は?食費は?生活費は?何も払っていないし、そもそもあなたを住まわすためにこの家を建てたんじゃない。それに赤ちゃんが生まれたばかりなの、迷惑だって考えない?」
怒りに押されて、言葉がどんどんあふれてくる。声が震えた。
自覚
「梨香子さぁ、言いすぎだって。ごめんね健太郎、こいつ産後でイライラしてるんだわ。子どもの入院にも付き添ってたし、なおさら病んでんのかも」
へらへらと笑う雄二を見てさらに怒りはあふれた。
「もう~梨香子さん、どうしちゃったんですか?寒いんで入れてくださいよ」
笑う雄二につられたのか、健太郎もへらへらと笑いだす。
「寒すぎて、僕死んじゃいますよぉ」
コンビニの袋に缶ビールをいれ、子どものように駄々をこねる男。死んじゃいますよぉ、の言葉で私の怒りはピークに達した。
「死にかけたのはうちの娘です」
怒りがピークに達すると、人は逆に落ち着くのだろうか。さっきのように声は震えず、私は冷静に健太郎を見つめられた。
雄二は私の一言で、ようやくことの大きさと私の怒りに気づいたらしい。
「新生児がインフルエンザにかかるのは、大人がインフルエンザにかかるのと全く異なります。命に関わるくらい大きなリスクが隠れているんです。熱が出ているのを隠して我が家にやってきて、新生児と触れ合うような人、いまのうちにとっては殺人と変わりません」
静かに伝えたその言葉に、健太郎の顔からやっと笑みが消えた。
「…ごめん梨香子…俺、理解してなくて。健太郎すまん、きょうのところは帰ってくれ。娘も退院したばっかりだからさ」
「そう、っすね。すんません!じゃあまたあした!」
健太郎はぺこりとお辞儀をして、コンビニ袋を抱えたまま駅の方へ歩き出した。
私はやっと玄関のチェーンを外し、雄二を家に入れる。
急いでリビングに戻り、寝かせていた娘のもとへと向かった。すやすやと寝ている表情を見てホッとする。やっと、家族3人で夜を過ごせるね。
「梨香子、いままでごめん」
ダイニングテーブルの向こう側で深々と頭を下げる雄二に、私は離婚届を差し出していた。
「本当に…俺は最低なことをしてた」
「気づくのが遅いよ」
離婚届には、もう判を押すだけ。次同じようなことが起きたら、あなたとは一緒に暮らせない。そのときは離婚届を出すからあなたもサインして。
そういう気持ちで、私は雄二に離婚届を差し出したのだった。
「離婚は考え直してほしい。もう一度信じてもらえるように、心を入れ替えるから」
「それ、私が出産したときにも言ってたよ」
必死に謝る雄二に同情しようとは思えなかった。
「ごめん…本当にごめん」
「じゃあサイン、書いておいて」
「…はい」
「私が嫌だっていったら、ちゃんと話聞いて」
「はい」
「家族を優先して」
静かにうなずきながら、雄二は離婚届にサインした。私はそれをそっと棚にしまう。もう二度と離婚届を出すことがないようにと願いを込めて。