眠れない夜
それから早朝にインターホンが鳴らされることはなかったが、小島は天井をコツコツと一定のリズムで叩くようになった。
朝5時から夜の24時まで、それはほとんど休みなく鳴らされ続ける。一体、どうすればそんな長い時間天井を叩き続けられるのか。
きっと何か機械を使っているんだろうと思われたが、にしても異常だった。
「ママ、寝れない」
耳を抑えながら、和也はベッドのなかで真紀にしがみつく。
日曜日の夜だった。早朝にインターホンを鳴らされてからたった三日しか経っていないが、一定の感覚で鳴り響く音は、確実に剛志と真紀、和也の精神を崩壊させていく。
「こわい」
真紀はぎゅっと和也を抱きしめることしかできなかった。剛志も2人の背中をさすることしかできない。
和也の小さな体が震えている。恐怖を一生懸命こらえている。本当は叫びたいはずなのに、声を必死に押し殺している。
昼間、警察や管理会社に電話しても「近隣トラブルは当事者同士で解決して」としか言われなかった。
落胆しながらも、剛志は必死に近隣トラブルに強い弁護士事務所を探し、月曜日に訪問できることになっていた。
「あしたさ、弁護士の人に相談してみるから。真紀と和也は実家に避難して」
「うん」
「和也、あしたからはおばあちゃんちだから。思う存分走って大丈夫だから」
剛志は和也の頭をポンと撫でる。和也は無言で頷き、ギュッと目をつぶった。目尻からあふれるように零れ落ちた涙が、小さな子どもの心が限界を迎えていることを教える。
もっと早く実家に帰ればよかった。真紀も剛志も後悔していた。仕事やパートの都合がつかず、なかなか避難できなかったことを。そんな都合を優先して、和也をますます傷つけてしまったことを。
コツコツコツコツ
3人が布団にくるまり、耳をふさぎながら寝ている間も、音は絶えず鳴り響いていた。
翌朝、大きなキャリーケースを持って真紀たちが玄関を出ると、明もちょうど仕事に向かうところだった。
しばらく家を空けます、と言わんばかりの真紀たちの様子に、悲しそうな顔をする。
「仕方ないよね…」
明の悲しそうな顔は、小島への怒りも含んでいた。
「コツコツ叩く音さ、うちと、たぶん隣にも響いててね。きょう弁護士に相談しに行くつもりなんだよ。警察も管理会社も頼りにならないし」
「あ、うちもです」
明の言葉に剛志が答える。小島の嫌がらせに悩まされているのは真紀たちだけではなかったのだ。
「いい結果になればいいけどね」
「はい…とりあえず、妻と息子には実家に避難していてもらおうと思って」
「それがいいよ。こっちが家を出なきゃいけないっていうのも、おかしな話だけどね」
がっくりした明の顔には、剛志や真紀と同じクマができていた。