恐怖との闘い
自宅のインターホンが執拗に押されたのは、それから1時間後のことだった。
その前から私のスマホには悟からの着信が止まらずにいる。
「来たね」
ごくり、と唾をのみ、私はスマホの通話ボタンを押し、あるところに電話を掛けた。
オートロックを突破してマンション内に入ってきた悟は、ついに私たちの家の前に到着し、廊下に響くほどの声量で叫び続ける。
ふざけるな、騙しやがったな、絶対に許さない。そんな言葉を一通り言い終えたのを聞いて、和明が玄関ドアをゆっくり開けた。
「てめぇ!ふざけんなよ!離婚届けが受理されないってどういうことだよ!」
玄関チェーンのおかげで、ドアが完全に開くことはないが、隙間からも悟の血走った目が確認できた。
「子どもを出せ!めちゃくちゃにしてやる!俺を舐めやがって!ふざけんな!」
叫びながら、悟がチェーンを外そうと手を動かしている。
距離を置きながら、和明が後ろ手に隠した傘をギュッと握りしめる。
「悟、あなた変だよ。常軌を逸している」
「あ?真琴が悪いんだろ、俺と別れて知らない男と子ども作って!ふざけんな!お前は俺だけのものだろ、高校のときずっと一緒にいようねって約束したのは嘘だったのかよ!」
たしかに高校生のころ、若気の至りでそんな約束をしたかもしれない。
しかし、もう何年も昔の話。別れた時点で、その約束は無効になったはずだ。
「なんでだよぉ!俺、真琴のこと信じてたのに!」
絶叫する悟を見て、和明も心なしか震えているようだった。あれだけ怒り狂っていれば、刃物を隠し持っていて、襲ってきてもおかしくない。
「鍵、開けないほうがよかったか…」
和明が少し後悔しているように見えた。
「子どもはどこだよ、子ども早く出せよ!忘れたわけじゃねぇよな、子どもがどうなってもしらないぞって言ったよな!」
梓ならもういない。こうなることを見越して、きょうは朝から実家に預けた。
離婚届けは出せないように、不受理届を役所に出しておいた。万が一に備え、離婚届けに書いた本籍地や、和明の名前の漢字も若干変えた。受理されないようあらゆる手を尽くした。
実害がないと警察が言ったから、怒りの音声を録音できるようわざと家に仕向けた。
想像以上の実害でマンション住人には申し訳ないが、先ほど警察も呼んだから、これでしっかり対処してくれるはずだろう。
10分ほどして警察が6人ほどやってきた。ほかの住人も通報したらしい。
怒鳴る悟を連行し、警察はしばらく私と和明に話を聞いた。
もっと早く警察が動いてくれたら、ここまで大ごとにはならなかったのにと思いながら、私と和明は家の前での待ち伏せや、AIで作ったのであろう偽の不倫証拠、離婚届けの強要と、娘に実害を加えるという脅迫音声、仕組まれた盗聴器についてもすべて打ち明けた。