NYに行く。決めたのは19歳のころの自分
M:現在通っている大学院の専攻が脚本で、ここまで来るのにきっかけから話すと長いストーリーになるのだけど…。
もともとミュージカルが大好きで、いつかショーを通して人を魅了したいという思いが幼少期から根付いていたのは知ってたよね?その実現のために高校時代に宝塚音楽学校を2度受験したり、大学ではソングリーディング部で観客の笑顔を作ったり。
O:確かに宝塚受験に向けて、高校時代はストイックにレッスンを受けていたのはよく印象に残っている。毎日忙しそうだなって。心から演劇が好きってこと、伝わっていたよ。ただ、いまの専攻って、どちらかといえば舞台の裏側だよね?演者から構成側に回ったのはなぜ?
M:高校時代、宝塚の受験に向けて相当頑張っていて、合格まであと一歩まで行き着いたけれど、結局は入学を果たせなくて。原因はどうしても歌が上手になれなかったこと。あんなにも一生懸命練習したのに夢が叶わなかったという悔しい気持ちと、プロの世界はやはり厳しいのだなという挫折を味わった苦い過去だね。
大学に入学して、ソングリーディング部でステージに立つ楽しさを満喫していた19歳の夏。NYに短期語学留学に行ったんだけど、そこでターニングポイントが訪れたんだ。そのときに、NYのブロードウェイで活躍する日本人女性のミュージカルプロデューサーの存在を知って。若さって怖いね、「魅力的な人だな」って思って、気づいたら超大物に食事のアポを取っていたの。
O:行動力(笑)!
M:本当にね。イヤな顔ひとつもせずに食事に快く応じてくれたその方は、日本とブロードウェイの架け橋的な存在で、日本の題目の海外公演を実現するべく資金集めからキャストの配置まで行う、いわばミュージカル界の重鎮的存在。
「本当に大変な仕事だけど、舞台の幕が開く瞬間に苦労が吹っ飛んでしまうの」彼女が放った言葉に私、感動しちゃって。私も裏方として観客の笑顔を作ることを生き甲斐にしよう、大好きなミュージカルに携わるブロードウェイのプロデューサーになろうと決心したんだ。
英語の勉強は社会人として働いて資金を貯めたところで本格的に行い、その後ミュージカルをプロデュースするために肝である資金繰りやビジネスを学ぶために大学院に行こう。ここNYに戻ってこようって、そのとき決意して。いま思うと、語学留学でNYに行ったのに、なぜ英語の勉強を後に回した?と思う。そこはちょっと後悔(笑)。
O:後悔ポイントは間違いないね(笑)。なるほど、学生時代の強烈な体験が、いまの自身を作っている、と。ただ、10年前に受けた思いって、年齢とともに色褪せてしまわない?