仕事が好きな女
10年前の夜にプロポーズらしきものをされたあの後、ダメもとで受けた数回の面接にパスした真依子は晴れて、念願の中堅文房具メーカーの営業職として採用された。
真依子が働く文房具メーカーは、業界トップクラスではないもののそれなりに知名度がある。ボールペンやファイルなどのいくつかのメインアイテムは、全国ほとんどの文房具店に置いてあるようなレベルだ。仕事を任せてもらえる範囲も広く、比較的自由にやらせてくれる環境だったこともあり、真依子は仕事に邁進した。
「新しい仕事が落ち着くまで、結婚はちょっと待ってほしい」
これが、当時の真依子が出した結論だった。浩太は「わかった」と言ってくれたが、転職先での仕事や環境は刺激も多く、前職での退屈さが嘘のようだった。
やがて、真依子のなかで浩太の優先順位が下がっていってしまったのだった。浩太もそれに感づいたのか徐々に距離ができ、結局、真依子の転職から1年も経たずに別れることになった。
転職してから10年ほどが経ち、一昨年からは主任という役割をもらって部下の面倒も見るような立場になった。もちろん今後の実績や仕事ぶり、会社の都合などにもよると思うが、おそらくこの会社員人生は、ありがたいことにわりと順調なほうだと思う。
もし、浩太か丸山と結婚していたら、どうなっていただろう。そうしたら、働きながら家庭を築いていくという未来も、あったのかな。夜寝るときなどに、ふとそう思うことがある。世の中には、もちろん努力はしているのだろうが、責任ある仕事と家庭を両方手に入れたうえで器用に回せている人もいるのだろう。
でも、それも「たられば」の話。浩太も丸山も、結局は結婚する相手ではなかったのだ。相手にとっても、真依子にとっても。
「真依子は結局仕事が好きなんだよね。いい意味で」
早希はビールを飲み、行き交う人に目をやりながら言う。
「そうかもしれない」