イタズラな人生
百貨店から4、5分ほど歩いたところにある洋食店は、古くはあったけれど落ち着いた雰囲気だった。ときどきひとりで来る店だそうで、ランチタイムが15時までと長めになっているのが、休憩を取る時間が不規則な身には助かるのだといっていた。真依子はシーフードドリアを、冴島はハンバーグセットを頼んだ。
冴島と、食事をともにするのははじめてだった。営業の合間に、取引先とランチやお茶に行くことはときどきある。情報交換もできるし、飲みに行くよりも短時間で親交を深められるので、真依子としては貴重な時間だ。なにより、ごはんを食べながら話すというのは、堅苦しくなりすぎなくていい。人はおいしいものを食べると、どうしたって気持ちがゆるむから。
「へぇ、部下の方がご結婚されたんですね」
「そうなんです。とてもいい子なので、ぜひ幸せになってほしいなと」
それは偽らざる本心だった。祐奈なら、結婚生活というものをうまくやれそうだ、と思う。相手があの丸山なら、なおさらだ。
35歳ともなると、真依子の同級生のうち7、8割くらいは結婚していて、そのうちの半分くらいは子どもがいる。「結婚できない」という言葉は自分のことを卑下しているみたいで、真依子はあまり好きではない。「結婚していない」でいいだろう、と思う。
ただ、独身の人を見てもなんとも思わないが、結婚したことがない自分というのはなんというか、半人前なんじゃないかと少し不安になってしまうことはある。なんというか、まだ人生の深いところまでいっていなくて、表面をなぞっているだけなのではないか、みたいな。
「でも、進藤さんはご家庭でもしっかりされていそうですよね」
「え?」
「あ、失礼だったらすみません。僕のイメージですけど」
「いえ、私、独身なんです」
「えっ!?」
冴島は店内に響くほどの大声をあげ、自分の前に置かれた水を倒した。
「す、すみません」
冴島はポケットからチェック柄のハンカチを取り出し、ぎこちなくテーブルを拭いている。
「いえいえ」
やっぱり、この歳で結婚してないのって少数派なのか。真依子は思った。
食事を終え、冴島と真依子はセットのホットコーヒーを飲んでいた。こうして向き合ってみると、冴島は年齢よりも若く見える。制服を脱いだ姿も、ネイビーのニットから赤いチェックのシャツを覗かせ、それにベージュのチノパンを合わせていて、けっこうおしゃれだ。
「実は僕、再来月から異動になるんです。関西のほうに」
「そうなんですか?」
「はい、まあ、数年で戻って来るとは思うんですけど」
「それは、残念です」
「…」
「大丈夫ですか?」
「…もしご迷惑でなければなんですが、東京にいるあいだに一度、映画にでも行きませんか」
人生には、ときどきこういうことがある。もしかしたら、今後冴島と恋愛が始まるのかもしれない。でも、付き合ったとしてもいきなり遠距離?異動して担当は外れるとはいえ一応取引先だし、もし別れたら気まずいよな。とりあえず連絡先だけ交換しておいて、あとからやんわり上手に断る?いやいや、そもそもまだ何も始まってないし、考えすぎでしょ。このお誘いって友達としてってことなのかな、いやいやでも、なんかそんな感じではなさそう…。
「ぜっ、ぜひ!」
思わず声がうわずってしまった。冴島は、ほっとしたように笑った。
「すみません、連絡先を教えていただけますか。携帯電話を、店のロッカーに置き忘れてしまって…」
冴島は、ポケットから銀のボールペンを取り出し、書くものを探している。
真依子は外の景色をすこし眺め、冷静を装って鼓動を落ち着かせた。この先、どうなるかなんてわからない。冴島と付き合うのか、誰かと結婚するかどうかも。いずれ結婚したとして、それがいい選択なのかどうかも。でも、自分の幸せだけは、いつだってあきらめないでいたいのだ。
真依子がほかの選択をしていたら…
Choice.1 結婚を選択「ピーマンと夜とわたし」
Choice.2 転職を選択「銀のボールペン」
Choice.3 結婚でも転職でもない道を選択「pleasant life」
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- ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
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