夫、利樹が社会人サッカーの試合でケガをした。1カ月の入院。妻の直美は夫が心細くならないよう、仕事帰りに毎日のように病院へと足を運ぶ。
しかしそんな妻の献身的なサポートの裏で、利樹は直美を裏切っていた…。
第1話
- 登場人物
- 大村直美:この物語の主人公
- 大村利樹:直美の夫
- 中塚悠里:夫の入院先の看護師
- ※登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
突然の入院、そして違和感

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目の前で夫、利樹が痛みで倒れたのを目撃したときは、心臓が口から飛び出るかと思うほど衝撃的だった。
「大体1カ月ほどで退院して、そのあと定期的にリハビリに通っていただくことになりますね」
足に包帯を巻かれた利樹を横目に、私は医師の話を聞く。膝前十字靭帯断裂。先ほどの社会人サッカーの試合で負傷してしまったのだ。
「サッカーはもうできないんですか?」
利樹は少し震える声で医師に聞いた。
「リハビリ、頑張りましょう。当院の患者さんでも復帰している人が大勢いますよ」
医師の言葉に利樹は胸をなでおろす。小学校からずっと好きだったというサッカー。プロサッカー選手になるという夢はかなわなかったものの、現在は社会人チームに所属して仲間たちと楽しんでいる。
私も妻としてサポートしているのだが、いろいろな出会いがあってとても楽しい。利樹のサッカー繋がりで出会った奥さまたちとは、一緒にライブに行くほど仲良くなった。
「利樹、大丈夫?」
医師が部屋を出ていったあと、私は自宅から持ってきた入院セットをちいさな棚に並べた。その様子を、向かいのベッドのおじいちゃんがぼんやり眺めている。
「やっちまったなぁって感じ。ごめんな直美、迷惑かけるわ」
「私のことは気にしないで。さっきお義母さんにも電話しておいた。時間があったら見舞いに行くわって笑ってたよ」
「ちっちゃいころしょっちゅう骨折してたから、いまさら驚かないんだろうな」
「そうなの?」
「サッカーでね」
へぇ、と笑いながらも胸がザワザワする。痛みでもだえる利樹の顔なんてもう見たくない。
「とりあえず洗顔と歯磨き、ここに置いとくね。それと食事制限はないみたいだから、さっき売店でいろいろ買ってきたの。あとこれ、ふりかけ」
「助かる」
はにかんだ利樹の顔がなんだか弱々しく見えた。入院着のせいだろうか。
「大村さぁん」
あと何かほしいものがあるかと聞こうとしていたら、明るい女性の声が背後から聞こえた。
振り向くと、栗色の髪の毛を後ろで束ね、ニコニコと笑う看護師がいた。くりっと丸い目、小さい鼻、ふっくらとした唇。大学を卒業したばかりだろうか、初々しさが残る。
「看護師の中塚悠里です。よろしくお願いします」
中塚さんがぺこりと頭を下げ、私にも笑いかけてくる。
「お世話になります」
私がお辞儀をすると、利樹も一緒に頭を下げた。
「痛みはありませんか?痛み止めも処方できるので、何かあれば呼んでくださいね!」
「はい。いまのところは大丈夫です」
「よかった。こちらが、入院の書類です。いくつか記入してもらう必要があって…奥さまに書いていただきたいのですが」
中塚さんは慣れた手つきで数枚の紙を取り出し、私にボールペンを渡してくる。
清潔感があってハキハキしている。若いけれど緊張している様子もなく落ち着いて対応していて、安心感があった。
「こちら食事や消灯時間などについて記載されているので、大村さんが目を通しておいてくださいね」
利樹は中塚さんに手渡された紙を見て、小さくうなずいた。
「あの、お風呂って入れるんですか?」
利樹の質問にも、中塚さんは丁寧に答える。にこやかで感じもいい。入院中の利樹がなるべく心地よく過ごせますようにと願っていたが、この様子なら大丈夫そうだ。
私はホッと胸をなでおろした。このときは、ただただ呑気だった。
ただ2人になりたいだけなのに

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「利樹、お見舞い来たよ~」
私はほぼ毎日のように病室へ足を運んだ。職場と病院がたまたま近かったのもあって、仕事帰りに立ち寄るのにそれほど不都合はなかった。
たった1時間しか話せないのだが、それでも充実した大切な時間だった。心細いだろうから、どうか私のお見舞いで心が元気になりますように。そう考えたのだ。
しかしどういうわけか、数分話をしていると毎回中塚さんがやってくる。
「利樹さんの様子なんですけど、予定通りリハビリは順調に進んでます」
あれ?この前まで苗字じゃなかった?いつから「利樹さん」って呼んでるんだろうか。なんだかモヤモヤしつつも、中塚さんの話にニコニコと返事をする。
きっと彼女なりに頑張っているんだろう。患者を支えられるように精一杯考えた結果が、家族に詳しく様子を伝えるというコミュニケーションにつながったんだろう。
名前で呼ぶのもきっと、患者との信頼関係を深める方法なのかもしれない。多分。
「あとさっきはテレビでお笑い番組やってて、みんなで一緒に見たんですよ、おもしろかったですよねぇ」
うふふ、と笑う中塚さんに、思わず「仕事は?」と突っ込みそうになった。いやいや、これも仕事なのかもしれない。
「っていうか奥さま、聞いてくださいよ〜!。きのう利樹さん、夕食のご飯足りないからって売店のパン2個も食べてたんですよ。びっくりしちゃいました!」
だんだんモヤモヤが大きくなっていく。入院して2週間。見舞いに足を運ぶたびに彼女はベッドのそばまでやってきて、私が帰る瞬間までずっと喋り続けている。
2人きりにしてほしい。私は利樹と話がしたい。
そう思っても言えない…1カ月の長い入院生活、私のせいで利樹に気まずい思いをさせるのは嫌だ。中塚さんなりに頑張っているだけなんだから、ここは大人の私がしっかり我慢しないと。
結局きょうも利樹と2人きりで会話することはほとんどできず、私は下着の替えだけ置いて病室を後にした。これがあしたもあさっても続くなら、なんだか行くのが嫌になっちゃうな。
次の日、私は本当に「行かなきゃよかった」と後悔することになった。