チャンスの到来
その事件は明日香の心をひどく乱した。
「どうして町原が担当から外されてるんですか!」
郡山との信頼を数カ月かけて築き上げてきたのに、その信頼は課長の勝手な采配であっけなく崩れ落ちた。上司の葛城が課長のデスクで怒りをあらわにしている。
明日香のおかげで契約も決まり、共同で進めるプロジェクトも進行していたのに。まぎれもなく明日香の功績だったのに。
課長は明日香を担当から外し、由梨に変えた。もとに戻したのだ。
「だってねぇ、もともとは小島さんの案件だったわけでしょ。町原さんは臨時要員みたいなものだったし」
「小島が何か功績を残しましたか?小島の失態でこの案件がすべて白紙に戻りそうだったんですよ、それを取り戻し、契約までこぎつけたのは町原です。もともと小島の案件だったって…もうこれは町原の案件ですよ!」
「まぁまぁ、町原さんにはまた新しい案件持ってくるからさ」
「課長!そういう問題じゃないでしょう。こんな対応していたら、取引先からの信頼も失いますよ。私だったら、コロコロ対応を変えるような会社とはお付き合いしたくないです!」
葛城の声がフロアに響く。ほかにも文句を言う人はいたが、状況は何も変わらなかった。
由梨は明日香の隣で、相変わらず申し訳なさそうに首を傾げ「ここまでありがとねぇ」なんて明日香に呟いている。
「課長に、私頑張りたいですって言ったら結構あっけなく戻してくれちゃって。明日香がもういろいろやってくれてるから、私ってほとんどやることないでしょ?超助かる、ありがとねぇ」
由梨の言葉を聞きながら、明日香は思考を巡らせていた。
郡山はどう思うだろうか。せっかく信頼を寄せてくれるようになったのに。これまでの時間がすべて水の泡になるのだろうか。
明日香は考えて考えて、由梨に「頑張ってね」と笑顔で返した。
これはチャンスなのだと思った。他力本願な由梨に復讐し、課長の目を覚まさせるチャンスなのだと。
案の定、郡山から課長のもとに怒りの電話がかかってきた。それは、明日香が予想していたよりもずっと早いタイミングだった。もちろん内容は、担当を明日香に戻せというもの。
郡山はまだ、明日香の前に担当した女性社員が由梨だったとは気づいていないらしい。名刺を見ればわかるはずだが、処分してしまったのかもしれない。
話を聞くと、由梨は担当が変わったというあいさつを電話で済ませ、引継ぎの資料も一切読まず、メールの返信も遅いらしい。
急ぎで対応しなければいけない案件だったのに、由梨はまったく急がなかった。
『町原さんに戻していただけないのなら、そちらとの取引はなかったことにさせていただきます』
「そうおっしゃらず…小島も多忙で対応しきれなかっただけですから、どうか大目に」
『みれるわけないでしょう。町原さんに変わる前の担当者と同じじゃないですか。せっかく町原さんに変わって安心して任せられると思ったのに、またこれですか。町原さんを変えた理由は何ですか?』
「町原はあの、別の案件を担当することになりまして」
『だからと言って、彼女はそう簡単に手を引くような人ではないとお見受けしました。こんなこと言うと失礼かもしれませんが、町原さんへの嫌がらせですか?彼女は社内で不当な扱いを受けているんでしょうか。それでしたら、うちで引き抜いてもいいですかね。…そもそも、こんなコロコロ担当を変えて取引先に迷惑をかけるなんて、失礼だと思わないんですか』
「おっしゃる通りです、その件に関しては大変申し訳なく思っており…」
『町原さんと話をさせてください。今回の件の説明は、彼女から直接聞きたいです。挨拶もなしに担当が変わったんですからいいでしょう。理由次第では、今回の契約はなかったことにさせていただきます』
課長の青ざめた顔を見て、明日香は郡山にとにかく申し訳なく思った。
身勝手な由梨と甘すぎる課長に巻き込まれ、本当にかわいそうだとも感じた。
それと同時に、由梨をギャフンと言わせる準備が整ったことにも気づくのだった。
NEXT:2023年7月14日(金)予定
- image by:Unsplash
- ※掲載時の情報です。内容は変更になる可能性があります。