娘からのSOS
1週間後の土曜日。昼過ぎから、千秋は満を持して拓海くんの家にお邪魔した。
一緒に選んだ、人気スイーツ店のクッキーを持って。
しかし、「いまごろ一緒にテスト勉強もしてるかな」と思っていた矢先、到着してわずか1時間ほどで千秋からSOSメールが届いた。
『もう帰りたい!お母さんやばいよ!助けて!』
娘の悲痛なメッセージに驚いた私は、先日の吉永さんと同様に、エプロンを付けたまま家を飛び出した。
「どうした!?」と驚く夫にろくに説明もできないまま、慌てて車のエンジンをかける。
吉永さんの家は12階建てのマンションで、吉永さんは最上階についている。部屋番号を急いで押すと、吉永さん本人が出た。
突然やってきた私に少し不思議そうな様子ではあったが、すんなりとオートロックを開けてくれる。
そのまま12階までエレベーターでまっすぐ向かい、部屋のインターホンを押すと、これまた吉永さん本人がニコニコの笑顔で迎えてくれた。
「田中さん、どうしたんです?千秋ちゃん、忘れものでもしましたか?」
「い、いえ。そういうのではなく、娘から連絡がきたので」
「…千秋ちゃんが?呼んできましょうか」
吉永さんが振り向くと、千秋はすでに上着と荷物を抱えて吉永さんの後ろに立っていた。
「あれ、千秋ちゃんどうしたの?」
「私、急用を思い出しちゃって!もう帰ります!」
「あら、そうなの?何の用事?」
千秋の青ざめた顔を見て、私はすぐに助け船を出さなければと思った。
「あ!そういえば、きょう皮膚科予約してたわよね!ああ、お母さんすっかり忘れてた!」
「そうそう、皮膚科!急に思い出してね、行かなきゃと思って!」
「そうなの、残念。まだ来たばっかなのに」
「おばさん、すみません。拓海くんもごめんね、お邪魔しました!」
そのまま私と千秋は逃げるように吉永さんの家を出て、エレベーターに乗り込んだ。
「ねぇ千秋、一体何があったの?…凄い冷や汗」
「お母さん、あの家やばいよ。っていうか、あのお母さんがやばい」
「どういうこと?」
「息子大好きすぎてマジ怖かった」
千秋の話を要約すると、どうやら吉永さんは相当な息子大好きママらしい。
まず家についた瞬間、持ち物を一つ一つチェックされたそうだ。「いかがわしいものが入っていないか確認させてね」とのことらしい。
その後拓海くんの部屋で勉強しようとしたところ、なんと部屋のドアが外されており(拓海くんが言うには「昨日の夜突然外された」そう)、なかはリビングから丸見え、そして勉強中は拓海くんと千秋の間にお母さんが座っており、千秋が何かを話すと「だって、拓海はどう思う?」と、なぜか通訳的なポジションをはたす。
拓海くんが「お母さん、もういいよ。リビングに行ってて」と言うと、「2人きりで何をしようとしているの?お母さんはね、2人に間違いがないように見守っているの。拓海に何かあったら、お母さん心配だもの!」と訴えてくるという。
そして「そうだ、これからもお母さんは2人のことを見守っていきたいと思っているから、千秋ちゃんの連絡先を教えてくれる?それから、スマホにGPS追跡アプリ入れてもいい?」と聞いてきたんだそう。
「それで、もう本当に無理すぎて、トイレからお母さんにSOSを送った」
「すっごい…過干渉なんだね」
「でしょ?拓海のことは好きだけど、あんなお母さんがいるならちょっと無理かな…」
「別れるの?」
「うん、付き合い続けられないよ」
そう言って、千秋は車に乗り込みながら拓海くんに「ごめん、やっぱり別れよう」とメッセージを送った。
拓海くんのお母さんが血相を変えてまた我が家にやってきたのは、それから3時間後のことだった。