入籍3日前。あと少しで夫になる人に、私はある告白をされる。
「やっぱり、結婚するのやめにしないか」
さっきまで幸せの絶頂にいた私は、一瞬でどん底に突き落とされる。できあがったばかりの招待状を見つめて、何が起こったのか理解できずにいた。
- 登場人物
- 山口加奈:この物語の主人公
- 祐樹:夫になるはずだった元彼氏
祝福してくれる家族、幸せな結婚生活が待っているはずだった

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幸せな結婚生活が始まるんだと思っていた。
「僕、加奈さんのこと絶対幸せにします」
「祐樹くんになら、安心して任せられるわ」
「2人で、幸せな家庭を築いてくれよ」
「もちろんです!」
先月実家にあいさつに行った日を思い出す。嬉しそうな両親の顔。彼の少し緊張した表情に、私も思わずドキドキしてしまっていた。
その次の2週間後には、両親同士の顔合わせもした。私の両親と彼の両親が楽しそうに会話しているのを見て、すごくうれしかった。
彼の母親が「娘がもう一人増えるみたいで、うれしいんです」と話すのを、母が少し涙目になって聞いていた。「うちの子を、よろしくお願いします」と。
「入籍は、2週間後の記念日にしようと思っていて」
「2月2日よね?付き合った記念日だったっけ。ほんっとおめでとう、嬉しくて泣きそうだわ」
共通の友達に結婚するんだと打ち明けたときも、まるで自分のことのように喜んでくれた。会社の人にも結婚しますと告げたら、手続きのことや式のことなどいろいろ相談に乗ってくれた。おめでとうと、ご祝儀までくれた。
だから、まさかこうなるなんて思っていなかった。
「いまなんて言ったの」
「だから、結婚はやめようって」
私の前に正座して、祐樹は神妙な面持ちで口を開いた。拳を固く握りしめ、真っすぐこちらを見つめる視線は間違いなく、真剣だった。
入籍を3日後に控えていて、結婚式まで、あと3カ月だった。ちょうど招待状ができあがって、後は送るだけという段階。
「…冗談でしょ?」
フルフルと首を横に振る祐樹を見て、冗談には見えなかった。でも冗談だと思いたかった、嘘だと言ってほしかった。だってこんな、入籍直前に婚約破棄だなんておかしいよ。
「ごめん」
深々と頭を下げる祐樹を見て、一瞬口を開きかけ、すぐに閉じた。本気なんだ。彼は本当に、私と結婚できないと感じているんだ。
「無理なんだ」いまさら言われた理由に涙が止まらない

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「理由、聞いてもいいかな」
「怒らないで聞いてほしいんだけど」
私はそのとき直感で、浮気されたんだと感じた。ほかに好きな人ができたんだ、だから私は捨てられるんだと。どうやって怒ってやろうか一瞬で考えた。しかし、予想はことごとく外れた。
「なんだか無理になっちゃったんだよね、加奈のこと」
予想外の返事に驚いて、その場で固まった。
付き合って、あと3日で3年。3年記念日が私たちの結婚記念日になって、この先も長く長く同じ日をお祝いし続けられると思っていたのに。
いまさら、無理ってどういうこと。
「なんだか無理、ってどういうこと」
「その…前から思ってたんだけど、価値観が合わないこと多いなって思ってて。あと金銭感覚とか、将来のこととか、いろいろ」
たしかに、これまで些細な衝突で喧嘩はしてきた。しかしそのたびに仲直りしてきたし、金銭感覚も将来に対する想いも、それほど大きな違いはないと思っていた。これからゆっくり考えればいいとさえ思っていた。だから意味がわからなかった。
「いまさら、じゃない?プロポーズまでして、顔合わせも済ませて、式場もおさえて、あと3日で結婚ってときに、どうして?」
彼は気まずそうに目線を下にずらして、しばらく黙った。
「前から、なんだかなって思うことはあって。でもそのたびに、それでも好きだしって言い聞かせてたんだけど…。いざ結婚して夫婦になるって実感がわいてくると、もう逃げられないんだなって思って」
「逃げられないって、そんな言い方…」
「ごめん」
もう一度頭を下げ、謝る彼になんて声をかけたらいいのかわからなかった。
「式場、おさえてるし」
「俺がキャンセル料払うから」
「ご祝儀だってもらったんだよ」
「俺が返すから」
「お母さんにはなんていえばいいの?」
「俺のこと、いくら悪く言ってもいいから」
「楽しみにしてたんだよ?すごく喜んでくれたんだよ」
「うん」
「そんな、いまさら婚約破棄だなんて…!」
「本当にごめん。わかってほしい」
本当に無理なんだと悟った瞬間、涙が止まらなくなった。ボロボロと溢れてくる涙をどうにか止めようとしてみたけど、何をやっても止まらない。
いつもなら抱きしめてくれる彼は、もう目の前で見ているだけ。そのうち泣き止まない私を置いて、彼は出て行ってしまった。
テーブルのうえには、3日後に出すはずだった婚姻届が寂しそうに載っている。