主人公・町原明日香の隣の席には、婚活女子の小島由梨が座っている。彼女はきょうも、結婚相手探しに忙しい。
「売れ残りになりたくないから」と、同僚の明日香に仕事を押し付けて定時退社。そんな働き方を続ける由梨に、明日香の怒りは日に日に貯まっていくのだった。
第1話
- 登場人物
- 町原明日香:29歳。この物語の主人公
- 小島由梨:29歳。明日香の同期
- 葛城千鶴:39歳。明日香と由梨の上司
- 高田圭吾:明日香が密かに思いを寄せていた高校時代の同級生
「婚活女子」の働き方

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終業を告げる時計の音と同時に、明日香の隣の席から聞こえたのは、もう何百回と聞かされたセリフだった。
「ごめんなさぁい、私きょうどうしても外せない用事があって…残業できないんです!」
小島由梨、29歳。グレージュカラーのロングヘアをゆるく巻き上げた彼女は、白いタイトなワンピースに同系色のカーディガンを羽織り、ヒールの低いグレーのパンプスを履いている。体のラインがほどよく見える服装に、華奢なネックレス。
ダークグレーのパンツスーツと、うなじまで見えるショートヘアで仕事にあたる明日香とは正反対の格好だ。
営業部にはいささか不釣り合いな小さなハンドバッグを手に持ち、由梨は隣にいる明日香のほうに目を向けた。
「ごめんなんだけど、この商談資料だけ仕上げておいてくれない?」
「今月何回目?」
「わかんない、忘れちゃった」
「…まさかまた婚活?」
「うん!だってさぁ、もう30になるんだよ?余りものにはなりたくないしーって…明日香にはわかんないか」
わざとらしく微笑む由梨から、明日香は目をそらす。
結婚願望の強い由梨と違って、明日香には結婚願望がなかった。いい人が現れたら自然とそうなるのかもしれないが、わざわざいい人を探そうとは思わない。
幸い兄はすでに結婚して昨年子どもが生まれたし、妹にも婚約中の彼がいる。「自分一人結婚しなくても大して問題ではない」と明日香は思っていた。
「ね、同僚を助けると思って。お願い!」
両手をわざとらしく重ね合わせ、お願いしますと言いながら首をかしげる由梨を明日香は冷たくにらみつける。
一応、入社当時からずっと一緒に仕事をしてきた同僚だ。
「いいよいいよ小島さん、早く上がりな~。あとはね、うちの期待のエースの町原さんがやってくれるから。仕事大好きだもんね、町原さん。ちょうどいいじゃん、ね!」
そう言って町原明日香の肩を叩いたのは、営業部の課長。鼻のしたを伸ばしながら由梨の姿をじっと見つめ、「デートかな?」なんて呟いている。
「課長、ありがとうございます!明日香もありがとね、それじゃあ、お先に失礼しまぁーす!」
まだ残業するなんて言っていないのに、由梨はさっさとフロアを出て行った。
そんな由梨の後ろ姿を見てニヤニヤする課長の背中に、明日香は大きくため息をつく。
「課長。定時退社が悪いわけではありませんが、町原ばっかりに仕事を押し付けるのはいかがなものかと思います。今月の町原の残業時間はもうギリギリです」
声をあげたのは、明日香の上司でありお局的存在でもある葛城千鶴だった。
葛城の声に続くように、ほかの女性社員もぶつぶつと文句を言う。
課長はそんな声には耳を向けず、「はいはい、仕事戻って」と言って自分のデスクに戻っていった。
結局、その日明日香が会社を出たのは21時だった。葛城やほかの社員の手助けがなければもっとかかっていただろう。
それだけの大きな仕事を明日香に丸投げしてきた由梨に女性社員からは不満が噴出したが、課長は何も言わなかった。