真実
「ごめんね、美奈子さん…。まさかうちの旦那があんなことしてたなんて、本当に、ごめんなさい」
一週間後、香織と美奈子は行きつけのカフェでランチをしていた。
「香織さんは悪くないでしょう、知らなかったんだから」
「でも…凜花ちゃんは我が家で被害に遭ったの、守れなかった私の責任だわ」
「ううん…ありがとう。香織さんがすぐに警察を呼んでくれて、光一君が凜花と聡志を守ってくれたから、大事にならなかったんだよ」
美奈子の言葉に、香織はグッと口を噤む。
「…凜花ちゃんは、その後…どう?」
「気丈には振舞ってるけど、家族と光一くん以外の男性は拒否してる状態かな。夜も私と一緒じゃないと寝れないみたい。光一くんがたまに泊まりに来てくれるでしょう?あれが結構、精神的な安定につながってるみたい。光一くんには本当に、頭が上がらないわ」
「そっか…光一のことはどんどん頼って。もちろん私のことも。凜花ちゃんがまた楽しくダンスできるようになるまで、いや、そうなったあともずっと支え続けるから」
凜花は事件がきっかけで、ダンスをやめてしまった。ダンスさえしていなければ、こんな事件は起きなかったのではと言ったのだ。
先生も先輩も仲間たちも「好きなときに踊りにおいでよ」と言ってくれてはいるが、凜花の気持ちはまだ回復しない。
ただ学校も休みがちになってしまった凜花にとって、ダンス教室が居場所として存在し続けているのはありがたいことでもあった。
「聡志も元気よ。学校もちゃんと行ってる。聡志にとっても結構衝撃的な現場だったと思うから…慎重に見守ってるところ」
「そう、だよね…」
香織は美奈子の話を聞いて、さらに顔を伏せた。
「一応、弁護士さんや警察の話から、結構真相が明らかになってきたんだけど…話してもいいかな」
「うん、お願い」
「…夫は、凜花ちゃんが小学校4年生のころくらいから興味があったみたいなの。私も知らなかったんだけど、幼い女の子が好きっていうか…。それで今回凜花ちゃんのアカウントがバズったのをチャンスだと思ったらしくてね」
「チャンス?」
「うん」
美奈子は、優しそうな顔の香織の夫を思い出す。家族ぐるみでキャンプにでかけたとき、子どもたちと積極的に遊んでくれた、いいお父さん。…と思っていたのに。
「有名になれば粘着質なファンやアンチがきっとわく。その誹謗中傷や悪質なコメントにのっかって自分も嫌がらせをすれば、自宅にいれなくなる。自宅にいれなくなったとき、きっと息子の光一に相談するはず。子ども同士がそういう話にならなかったとしても、私と美奈子さんなら助け合うんじゃないかって。それで、うちに泊まりに来るように、自宅にまで押しかけて危機感を与えたというの」
「…つまり自分の家に泊まりに来るよう、わざと悪質なDMを送ったりインターホンを押したりしていたの?」
「うん。そしてほかの嫌がらせするアカウントに混じれば、自分だってバレないだろうと思ったみたい。客間に侵入したのは、弟にはどうせ何もできないって思ってたんだって」
「…そう」
香織は美奈子の顔をゆっくり見て、絞り出すように告げる。
「夫とは、離婚する。こんな人だなんて…思ってなかった。この先美奈子さんたちには近づかないよう、精一杯できることはするつもり」
「うん。わかった」
「本当に、ごめんなさい」
「香織さんが謝ることじゃないよ」
「…うん」
「香織さん、すぐに警察に通報してくれて、本当にありがとう。自分の夫を通報するって、勇気がいると思うの」
香織は勢いよく首を横に振る。
美奈子は縮こまる香りを見て、複雑な気持ちになっていた。加害者の妻と、これからも仲よくしたいと思うのはおかしいのだろうか。加害者の息子に、これからも凜花を支えてほしいと思うのはおかしいのだろうか。
しかし、加害者の責任を家族が負う必要はあるのだろうか。私は、どうするのが正解なのだろうか。
1カ月後。
「ママ、きょう光一泊まりに来るんだけど、私も夜ご飯一緒に作っていい?」
「うん、いいよ。ハンバーグにしようか」
「難しいかな」
「大丈夫、凜花ならできるよ」
「よかった。パパもハンバーグ好きだし、頑張るわ」
凜花は相変わらず学校に行けていない。学校が嫌いなわけではないが、男性教師を見るとどうしてもあの夜のことがフラッシュバックしてしまうのだった。
無理しなくてもいい。そう言って休ませていた美奈子は、だんだんと凜花が元気になっているのを感じていた。
深く刻まれた恐怖が完全に消えることなど決してない。だけどせめて、恐怖を忘れさせることはできるのではないかと、凜花の心に寄り添うよう心がけていた。
光一は加害者の息子ではあったが、凜花は光一を拒否しなかった。香織とも相変わらず付き合いが続いている。
「あのさママ、あしたダンス行こうかなって思ってて…ママついてきてくれる?」
「うん、もちろん」
「ありがとう」
照れ臭そうに笑う凜花を見て、美奈子の心は少し軽くなる。
ただひとつだけ気がかりがあった。
「凜花ちゃんファンクラブ会員」たちのアカウントが、いまだに凜花の過去の写真や動画をアップロードし続けているのだ。
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