「飲みに行かないで」と言われた夫は…
その日、康介はリコと飲みに行かずに帰ってきた。さすがに会社の受付でそんな話をするわけにはいかないと気づき、私は「そういうことだから」とUSBだけ渡して帰ってきたのだ。
突然「飲みに行かないで」と言われた康介はとにかくびっくりしていたようだったが、お願い通りにその日は帰ってきた。
「ねぇ、リコさんと飲みに行かないでってどういうこと?」
帰ってくるなり、康介は私に話を振る。
「そのままの意味だよ」
夕食をテーブルに並べながら冷静に返事をした。
「なんで急に。いままでそんなこと言ってなかったじゃん、どうかしたの?」
「…リコさんって、W不倫経験があるんだよね?」
「誰に聞いたの?小野寺?」
「うん」
康介が小さくため息をついた。あの野郎、余計なことしやがって。そんな感情が伝わってくる気がした。
「過去の話だろ?いまのリコさんの話じゃない」
「でも、そういう経験がある人と自分の夫が2人きりで飲みに行っているって聞いて、安心できる妻はいないと思う」
「俺はそういう関係にならないよ、そう言っても信用できない?」
「リコさん、男性との距離が近いんでしょう?たとえそういう関係じゃなかったとしても、自分の夫にベッタリくっついてる知らない女性を想像するだけでこっちは不安になるよ」
「大丈夫だって、彼女はそんな人じゃない…。女性社員からもそういう理由で避けられてるんだ。男性に媚び売ってるって」
そりゃそうでしょうね、と言いたくなったのをグッとこらえる。
「だから俺しか相談に乗れないんだよ。いまは心を入れ替えて、真剣に働いている。真琴にはそれをわかってほしい」
「無理だよ…」
「どうして」
「妻がこんなにお願いしてるのに、どうして知らない女を優先するの?私が不安になることより、その女と飲みに行く方が大事なの?」
わかったよ、という康介の顔は不満に満ちあふれていた。結局康介は飲みに行くのをやめたが、納得いかなそうな表情に私の不安はさらに膨らんでいった。
それからさらに1カ月ほどたったころ。学生たちの制服が、半袖に代わった夏のはじまりに事件がおきた。
「酒くさい!飲みすぎだよ、もう…」
康介が久しぶりに会社の人と飲みに行った。リコさんはいないから、という言葉を信じて私も素直に送り出した。そもそも飲みに行くのは一向にかまわなくて、リコさんと2人きりなのが嫌なだけだったのだから。
その日、康介はめずらしく帰りが遅かった。終電ギリギリまでのみに行き、べろべろに酔っぱらって帰ってきたのだ。いつもは1次会で早々に帰ってきて、たまに2次会まで行ってほろ酔いで帰る程度の人なのに。
ソファーで酔いつぶれている康介を見て、ふぅとため息をつく。私の不安のせいで我慢させてしまっていたんだろうか。飲み会に行かないでというわけじゃなかったのに、誤解させていたのかもしれない。
反省しながらスーツを脱がすと、ポケットからスマホが転がり落ちてきた。
「危ない。画面われるかと思った…」
スマホを手に取ると、パッと画面が付いた。そこに表示されていたのは、リコからのメッセージ。
「帰れた?奥さんに怪しまれないように気をつけて~w」
ああ、リコと飲んでたんだ。そう気づいた瞬間、私のなかで彼への愛情が徐々に冷めていくのがわかった。
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